FPのひとりごと

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海外に行くと
ホテルでTVを見る機会が多いが
番組よりCMの方がおもしろいこともある

韓国の自動車メーカーで“現代自動車”=“ヒュンダイ”ってあるよね
このメーカーは北米でもかなりシェアを伸ばしていて
アメリカでもTV・CMをジャンジャン流していたが
ヒュンダイだから“HYUNDAI”と英語で表記している
これ現地でどう発音するか知ってますか?

  『ヒャン・デイ』  でした

まあ字面をながめてみれば“そうだよなー”とは思えますが
いきなり“ヒュンダイ”が“ヒャンデイ”で『ヒョエー!!』でした

話は横道にそれますが
アメリカを含む海外のホテルって
設備が古臭いよねー 特に水回りなんかがね
おまえが使ったホテルが二〜三流なんだろうって
失礼な! ご招待でしか海外に行ったことはないが
超一流はないにしたって 1.5流ぐらいのところには泊まっている
そんなところでも 風呂やトイレは日本の15年ぐらい前の設備って感じ
日本のホテルでは当り前の“ウォシュレット”なんて絶対出くわさない
設備まで含めれば日本のホテルのサービスは世界一なんじゃなかろうか

あと困るというか戸惑うのは“チップ”
払うタイミングと金額がチンプンカンプンだ
元々そんな文化がないんだからしょうがない
添乗員やガイドに教えてもらうが やはりよくわからない
ホテルのベッドメークをやっている方々はチップのみが収入なんだそうで
朝 部屋を出て行く前に枕の下にチップを置いておくようにと
教え込まれたが 1回か2回ぐらいはどうしても忘れてしまう
自分の名誉のために言っておくが 私がケチなのではない
忘れてしまうのだ(為念) 
で あとで思い出して『あー−』と後悔する
なにがいやかって『あのジャパニーズはケチだ!』と思われることだ
めんどくさいから請求書を出しておいてくれればいいのにねー
そう思いません? ・・・

ん

なんの話をしてたんだっけ?
あーTVの・・ 
CMの話から海外のチップの話に飛ぶなんて
私の頭の中と一緒で“FUNKYでないかい!!”

我が家(実家)に“4本足”の白黒テレビが置かれたのが
たぶん 私が小学校の1年生のときだった気がする
その年は1964年! 東京オリンピックの年だ
そこから数えて45年!TVを見続けてきたわけだが
番組とともにCMも見たくなくても目に入ってきたことになる

当時の民放のCMは“全国版”と“ローカル版”が
半々ぐらいだった気がするが まちがってるかなー?
全国版のCMは“動いた”がローカル版は”動かなかった”

“米沢の漢方”とか“マーマ クリーニング 小野寺よ!”

これらは当時からあのままでやってたような気がするので
山形県内限定ローカル版CMのシーラカンスだ
“クマサワ”デンキだかなんだかのCMは
なんと『クマちゃんマークのデンキのクマ・・』で終わっていたが
それを臆面もなく何年もの間流しつづけていた
なんぼなんでも ちと視聴者をばかにしとらんかい!?
ローカル版はボードに“看板屋さん”が文字を書き
それをTVカメラでそのまま映したやつを
じーーっと画面に流してナレーションが入るやつが主流だった

県外で初めてTVを見たときは番組編成にも驚いた
当時はキー局はあるにしろ編成はめちゃめちゃで
なんでこのチャンネルでこの放送があるの?の連続
他局の人気番組を買い付けて適当にはめ込むので“ツギハギ”だった
昔はよくあった『一部の地域を除き このまま延長して放送します』の
“一部”に当地区はいつも運悪く当たってしまうのであった
CMにも驚いた
東京のTVのCMは全部“全国版”だった
考えたら当り前のことではありますが・・

CMは地域の文化度を写す鏡であった

平岡公威・・・三島由紀夫の本名

本名の方が本人のパーソナリティーと
マッチングしてるような気がしませんか?
私は なんとなくそんな気がしています

育ちもよく 学歴(東大法卒)もよく 才能にも恵まれ
悠々たる前途を堂々と駆け上っていくのかと思いきや
ボディービルでポーズをきめ 軍隊つくって自刃した
偉人・天才のメンタリティーを100%理解することなど
不可能であることは よーくわかってはいますが
それにしても・・  それにしても・・  です

でも 一人の男の弱さ・コンプレックスという面からライティングすると
なんとなく 彼について ぼーっと見えてくるものがあります
まず彼は“青白き”インテリとしての“ひ弱さ”を自認していたのでしょう
三島は著作で『太宰治が体操をやれば思想が変わったろう』と書いていたが
それは自分自身に対しても感じていたことであろうと思われます
健全な精神に健全な肉体は宿る って古臭いけど真実だと思う
それにエリートはブレイン(頭脳)だけでなく
フィジカルもエリートたることを望んだのだと思う
それは青白きエリートという烙印と事実へのコンプレックスの産物だ
彼が自衛隊に体験入隊したときの教官の手記を読んだことがあるが
長距離走には息があがってかなり難儀していたようであった

もう一つは その病的なまでの几帳面さ
太宰の『斜陽』の中での敬語の使い方の間違いを指摘するところなどは
文学に携わる者としての正当な批判ではあるが そこは重箱の角でしょ
裏をかえせばラフな生き方ができる豪胆さへのコンプレックスであり
三島が太宰治の生き方を許せないのは太宰的な生き方へのコンプレックス
とも言えなくはないと思う 真逆ってそういうことでしょ
だから自分を外から縛るもの 筋肉 制服 時計 規律 に固執する
そして生き方をストイックに追求しすぎて最後に自己破綻していく

あれほど奇異に映っていた彼の生き方が
実は彼の中では一貫性があり 見事に辻褄があっていたんだ

存在感は“月とスッポン”以上の乖離ではあるが
自分も三島に近い生き方を志向していたのかと思うと
メチャクチャ複雑な胸中になってしまう

でも まあ 凡人でよかった
割腹自殺はできないものなー





三島由紀夫

昔 まだ若かりし頃は
この人の行動やメンタリティーを
まったくもって理解することができなかった
“なにもなければ”川端康成より先に
ノーベル文学賞を獲得してたのではないだろうか
まともに読んだことがあるのは『潮騒』くらいなんで
えらそうなことはとても言えませんが・・・
なのに
ボディービルで“ムキムキ”になってみたり
(ま このへんは理解の範疇にあるにしても)
“楯の会”などという武器を持たない軍隊を組織し
どんどんどんどん“右傾化”“先鋭化”していって
最後は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺

左翼系の若者にこれを理解しろと言われたって
そりゃーまー絶対といっていいほど無理な話であった
当時は“右翼”というだけで嫌悪の対象になっていた


時は流れ 三島が自刃した45歳をいつしか超えていた
気付いてみれば 自分もボディービルではないが
自分の筋肉をつくるのに 異常なほど固執していた
目指すのは ボクサーの肉体で“闘う”カラダがほしかった
『からだのなかから不随意筋をなくそう・・・』という三島の考え
よーくわかるし 目指していたのはそこであった

でも なぜ彼が右傾化していったのかは理解できなかった
この対論集のこの表現に出会うまでは・・

『・・・ぼくは吉田松陰の「汝は功業をなせ、我は忠義をなす」
 という言葉がすきなんだ。・・・ぼくは忠義をするつもり
 だから政治家にならないよ。ところがいま日本じゃ忠義と
 いうのは左翼しかないように思われている。・・・
 左翼思想というのはぜんぜん功業がないから、ますます
 無効性の象徴になってきたんだ。だから青年が忠義しようと
 思うと、左翼になるほかはないんだよ。・・・左翼以外だって
 忠義はあるんだぞってことを、一生懸命にいっているわけだよ。
 忠義って言う点じゃ新左翼だって好きだよ。彼らだって忠義を
 しようと思ってるんだからね。だけど、左翼だけしか忠義が
 ないと思うことないじゃないか。それはエロスのなかにも忠義が
 あるだろう。反政治的な行動のなかにも忠義があるだろう。
 ただぼくは功業だけはしたくないという気は猛烈に強い。』 

目から鱗というのはこういうことをいうのであろう
あの奇異に映る三島の行動が理解できたし
自分の若いときの忠義に燃えていたメンタリティーは
実は三島と同じ土壌に根を張っていたんだ と気付かせてくれた


凡人っていうのはやだねー とつくづく思う
百年たったって理解できないものがいっぱいあるんだろうねー
百年もたったらもう死んでるって・・・


      ふーーっ

 




最近のマスコミはもっとましなネタがねーのかよ!
と 思わずツッコミを入れてしまいたくなるような
マイケル・ジャクソン(以下MJ)死亡報道の加熱ぶり
連日トップニュースでなにやらかにやらやってるが
もういいよ スリラーもムーンウォークも飽きた

彼がすごいエンターテイナーであることは誰も否定ができない
歌もダンスも含めて『KING OF POP』であること
それも 飛びぬけた存在であったことは間違いない
あのムーンウォーク あれどう見ても人間業ではない
それは 誰もが認めるところではあるが・・・

あの脱色した不自然な純白の顔の上に
昔の面影などどこにもないような奇妙な顔のパーツ
黒人が絶対ならないであろうストレートヘア
自宅に核シェルターやら遊園地をこさえて友達は“サル”って
誰も言わないなら 私が言う

  『あんた へんだよ!』

死者を鞭打つような悪趣味はないし
MJの業績を否定するわけではない
でも おかしいものはおかしいと言わねば
ジャクソン5のときの 兄4人の前で歌うMJ
ちょっとぷっくりの体型がかわいかっったのに
サプリメントでやっと生きていたかのような最近のMJ

まだ黒人差別が色濃く残っていた時代にデビューし
DVも受けていたのではという報道さえあり
決して恵まれた幼少期を過ごしていたとはいえないと思うMJ
それが彼を奇妙な行動に駆り立てていったのだとすれば
同情の余地がまったくないとは言えないが
中年の域に達して この期に及んでまだ己のバカさに気付かんとは
同年代の仲間としては『情けない!』の一言
自分の周りを遊園地とセキュリティーと小児で固めて生きるより
その命尽きるまで世界中を回って子供達に勇気と希望を与えてほしかった

MJ おまえならできたのに・・・




寺山修司と三島由紀夫の対論のテーマが

  抵抗論−エロスは抵抗の拠点になりうるか  って あなた!

こんなもん どないに理解せい言うねん!
エロスって“エロ親父”のエロでいいの!
なんだか“ス”がついただけで文学的な表現に見えてしまう
これは後に寺山修司と対論した野坂昭如もご同様のようで

『そのエロスとかエロシチズムは、ほんとうにわかんない。エロ映画っていう
 とよくわかるんだけどね。 〜中略〜 いやオ××コってたらよくわかるん
 ですよ。・・・・・・・・』(原文のまま)

こんな難解なテーマで二人の偉人がまじめに対論をしている
寺山と三島の育ってきた環境と このテーマに対するアプローチは
まるで白と黒のように鮮やかな違いを見せる のに
お互いの考えを理解というより包含しながら対論は更に深まりを見せていく

寺山はエロスを含む秩序(道徳)というものに対しなんの意味も求めない
それに対し 三島は厳格な秩序(形/形式)を自分にも他人にも求めていく
一見どこにも接点がないように見えるが
実は視点(発送の原点)の違いだけで コアな部分には重なりがあったりする
寺山は子供の頃 三島にファンレターを書いていたんだそうです
これこそが 欠乏にたいする渇望−一種のエロスだったりして・・

三島が直球のみ投げるのに対し 寺山はナックルで平然と返球する
三島はそれを何事もなくキャッチし またきれいな回転の直球で返す

この対論が行われたのは1970年7月
互いに新左翼の理論的組織的破綻を嘆きながらも
デモで赤軍派が時計を合わせて出発したことに感心をしている

結局 最初のテーマがどういう結論に至ったのかは
低レベルの私にはいつまでたっても理解できないが
何回読み直しても そのたびに新しい発見のある対論
もう二度と実現することのない至高の異空間であるだけに
そこにちょっとだけでも触れられるだけで十分至福の時を味わえる