FPのひとりごと

FPのひとりごと
ログイン

ちょっと前に前フリしておいた アレ・・!?
そう ノリで企画した“TEAM-WATANABE”が
なんと なんと 14日土曜日に実現してしまいました

集まったのは五十以上の“おっさん”5人と
(5番目=会員�癸垢蓮,曚楸�制加入でしたが・・)
若く麗しき平均年齢二十代後半+αの女性陣4人
総勢9人でのにぎやかな船出となりました


しかしまあ 女性陣は全員さわやかな方たちなのに
おっさん達の そりゃーそりゃー濃いこと濃いこと
どう見ても 半径5m以内を立入り禁止にしないと危険です
なんと あの“おやぢ殿”ですら “普通に”見えてしまう?
どんだけ濃いんだろうか! お前に言われたくないって! だよね


会場は会員�癸垢痢箸�やぢ殿”の店『そばきり八寸』
いやー テーブルに載せきれないほどの“ごちそう”が並んでいる
おやぢ殿 かなり気合を入れてくれたのがわかる ありがたい!
本番前の“練習”から盛り上がり
『乾杯!!』の頃には テンションMAX!!
私以外は“初顔”の人が多いのに それを全然感じさせない
おじさん達の厚かましさと女性陣の優しさのおかげだ

あっという間に時は過ぎ あっという間に焼酎の瓶も空になった

思えば みんな 事故後にお世話になった人だらけだ
事故がなかったら 一生会う予定がなかった人たちだ
その人たちと縁あって楽しく酒を酌み交わしている
人生は不思議だ  つくづくそう思う

秋にまたやります 今度こそ美味しい蕎麦を食べようね・・・?
...もっと詳しく

2011.05.16:tnw:コメント(2):[メモ/その他]
私のように学生時代 左翼思想に傾倒していた者にとって
(当時はノンポリ+リベラル+ちょい左派系でざっと7〜8割かな?)
日本の皇室は そのままストレートに受け入れられる存在ではなかった

昔あったTV番組『皇室アルバム』は 妙な気分になってだめだった
あれはBGMといいナレーションといい生理的に受け付けなかった

昭和天皇が崩御されての『大喪の礼』も 複雑な心境の中で過ごした
日本中が喪に服す・・理屈ではわかる でもなんだか判然としなかった


明仁天皇が皇太子だった頃 テニスとかスキーとかの姿を見ていて
ああー やっぱり (当たり前だが)品も育ちもいいプリンスだなー
とは思ったが それ以上のものを感じることはなかった
それが
ちょっと前 孫ともっと会いたいという主旨のご発言をされた
そのストレートで実に人間臭い物言いに親近感を覚えた

七十代後半なら普通は楽隠居でも誰にも文句は言われないのに
決して頑丈ではない身体に鞭打って公務という名の激務をこなしておられる
生まれた時から死ぬ時まで 本当の意味での自由はない
たまには愚痴をこぼしてみたり嫌味を言ってみたり泥酔してみたり・・
そんな我々平民が普通にやっていることが彼には一生絶対にできない
ストレスも溜まれば鬱積するものもあろうに発散することができない
考えてみれば かなり過酷な人生を送っておられるものだ

公務をこなすだけでも大変なのに
その忙しさを縫って天皇皇后両陛下で7週連続で被災地を訪問されている
しかも避難所では被災者に膝詰めで言葉をかけられていた
確かに 移動やセキュリティーで関係者にストレスがかかったり
その費用はどこから出ているのかとか パフォーマンスじゃないのかとか
いろいろと否定的に捉える向きもあろう それもわかる
でも 天皇制とか皇室とかを長年ネガティブに捕らえてきた私から見ても
あの行動は“本物”だ
自分が動くことの“マイナスα”など十分承知の上だろう
それでも 已むに已まれず現地で自分の声で直接 慰問・激励したい
そういう思いに溢れての行動であろうと私は思う 立派だねー

それに比べて・・

あの方は どんだけ人間としての底が浅いのだろうか

2011.05.14:tnw:コメント(0):[メモ/その他]
私は昭和32年生まれだ

敗戦が昭和20年だから
ちょうど干支が一回りしての生まれだ
一応“戦後世代”というところに括られるが
戦争とか敗戦というのは あくまで歴史の一ページにすぎない

私の子供時代は どちらかといえば“左向き”の教師が多く
その論調は 戦前・戦中の支配体制を全否定する向きが多かった
その標的は 『天皇制』であり 『ムラ』であり 『イエ』だった
純粋無垢で?紅顔の美少年だった??僕は自然にそれに染まっていった

そういうバックボーンの中で見る昭和天皇 天皇裕仁
教科書で いくら“象徴天皇”などと教えられても
防弾ガラスの向うで手を振る彼に複雑な思いを抱かざるをえなかった

高校時代 社会科で面白い教師がいた
よく脱線しては 時事問題などを解説してくれていた
この先生の天皇制に対する考え方がユニークで忘れられない

『昔はありえなかったが 今は天皇を“天ちゃん”と言っても捕まらない』

まあ確かに 70年前にそんなことを言ったら特高に捕まっていただろう
そういう意味では 戦後の天皇制というものを端的に伝える表現ではある
しかし とはいっても・・

『朕深ク世界ノ体制ト帝國ノ現状トニ鑑ミ・・・忠良ナル爾臣民ニ告ク』

と 約66年前に玉音放送で敗戦を日本国民に知らしめた方である
やはり 別世界の住人であったし 我々もそういう眼で見ていた
少なくとも 昭和天皇が避難所で被災者と膝詰めでお話になる
などということだけは 絶対になかっただろうと思う

長くなったので また あ し た

2011.05.12:tnw:コメント(0):[メモ/その他]
少々のものを食っても当たらない自信がある!

などと昨日豪語いたしました

確かに“当たらないコンテスト”をやったら上位間違いなしですが
私とて人間 鉄板のような消化器官でも当たっちゃうことはあるわけで・・


あれは 結婚して2年目ぐらいの頃だったと思う
当時 ガス屋の営業部長(肩書きのみ・部下なし)をしていた
昼は家内が弁当を作ってくれていた(それ以来25年間実績なし・・)
だいたいは おにぎり2個+おかず がスタンダード

おにぎりの具は 梅干 鮭 などが主流だったが
ときどき イクラ 筋子 おかか なんかも出てきた

確か梅雨明けが近くなってきた7月初め
午前中に配管工事で汗を流し 現場で昼を取った
おにぎりの具は“生の”タラコだった
普通 タラコを具にするなら焼きタラコにするんだろうが
その日はめずらしく具にタラコが入っていて しかも生だった
若干の違和感はあったが 空腹が寄り切ってパクついた

夕方になり 下腹部がシクシクと痛くなってきた
でもよくあることなので アルコール消毒でもすれば と思っていた
アパートにたどり着いたら 猛烈な腹痛と吐き気に襲われた
上から下から超特急(失礼!)でトイレへの篭城を繰り返した
そうこうしているうちに 今度は体温が急上昇し一瞬で40℃を超えた
猛烈な腹痛と吐き気+40℃の高熱  意識が飛びそうだった
がしかし今度は寒気が急に襲ってくる
夏なのに布団にくるまりガタガタ震えていた
それを2・3回繰り返した  死ぬかと思った

こりゃ“盛られた”のかと思い 家内を見た!?
生命保険の死亡保険金“5000万円”が頭にちらつく
んっ ありゃー なんと 家内ものた打ち回っている
家内も同じのを一個食べたんだって・・ 一応疑いは晴れた

もうほぼ限界に近かった
家内が救急車を呼ぶ? と聞いてきた
呼ぶべき事態であることは間違いなかったが
なぜか朦朧とする意識の中で それを頑なに拒否していた
食品衛生法かなんかで家内がパクられる などと思っていた・・?
当時はそれを本気で思っていたわけで・・ アホでした

深夜になって やっと痛みはおさまった


しかしまあ 絵に描いたような食中毒事件だった
梅雨  生タラコ  in the おにぎり  炎天下 ・・
これだけ条件が揃ったら 逆に“ならない”方が不思議だ

あんな怖ろしい体験は二度としたくはない

私にだけは言われたくないだろうが・・・
食中毒には十分気をつけましょう!!!

2011.05.10:tnw:コメント(0):[メモ/その他]
少々のものを食っても当たらない自信がある

どっかで かなり昔にアップしてあるが
約30年前 当時勤めていた会社で食中毒が発生した
昼食で取っていた仕出し屋さんの弁当に問題があったようで
夕方の事務所は ちょっと見たこともない修羅場になっていた
約20人がその弁当を食べたが そのうち19人が当たった
もう言わなくてもわかるでしょう! “じゃない”一人は私です!

だいたい ご幼少のみぎりの環境がスゴイ
それは 時代性も勿論あるが 地域性も大きい

ちょっと前までは『3秒ルール』というのがあったんだそうで
食べ物を落とす そこから3秒以内に拾い上げればOKみたいな
甘い!
我々世代は『無制限一本勝負』だ!
もちろん 落とした場所のシチュエーションにもよるが
別に 3秒だろうが3時間だろうが 全く関係ない
なめていた飴を口から落とす さすがに3秒ルールは無理だろう
我々? そのままは無理だが 水で洗って再び口に入れた
逡巡している子供がいると 母親から『さっさと拾え』と怒られた

だいたい3時のおやつで最高のご馳走が“味噌おにぎり”だった
なんのことはない 冷や飯に生味噌をつけてにぎったやつだ
それ以外は トマト きゅうり リンゴ 梨 栗 柿 杏 ナツメ・・
畑や木になっている作物や実だが 勿論 自分んちのじゃない
それを勝手に収穫して 勝手に召し上がった
昔の農家は鷹揚で ちゃんと“子供枠”が用意してあった
ただちょっと機嫌の悪いときは 棒を持って追っかけられた
当時は農薬もフリーの時代で それも一緒にいただいたことになる

子供用のお菓子にはチクロやサッカリンがたっぷり入っていた
若い人はご存じなかろうが 砂糖より数十倍甘い食品添加物だ
発癌性があり後に使用禁止になったが それまでにたっぷりいただいた

『赤チン』という外傷用の万能薬があった
ちょっと独特の臭いがする文字通り赤い液剤だった
我が家は とにかくなんでも赤チンだった
生傷の絶えない子供時代だったから たっぷりお世話になった
食いすぎて口内炎ができる 母親に言われて患部に赤チンを塗った
後に発売禁止になるが 水銀が主原料だとそのとき初めて知った

赤チンが用意できないアウトドアでは傷口にツバをつけた
蜂に刺されたら小便をかけた(科学的には無意味らしい)
魚の脂が手に付くと 整髪料として頭に塗りたくった


我が体内には たぶん あらゆる雑菌が同居しているのだろう
だから そんじょそこらの新入りの細菌に負けはしない
というより 残留農薬やら残留水銀やらが細菌を死滅させるのか
いずれにしろ 抵抗力の強いカラダであることはまちがいない
それは 野生であっけらかんと野放図に育ったおかげだ
最近 世の中はどこもかしこも神経質に除菌に滅菌に殺菌
そんなに神経質になっていたら抵抗力はどんどん落ちていく
どんなにがんばったって 放射能にはかなわないが
ちょっとした細菌ごときには もしかして勝てるかもしれない
不潔にしよう!というのではない
あまりに過度な神経質はどうなの と言いたいだけだ

ユッケにレバ刺し 大好きだ!!

2011.05.09:tnw:コメント(0):[メモ/その他]
横浜の独身寮に住んでる頃
食べ放題の焼肉屋によく食べに行った

チェーン展開している低価格焼肉屋で
当時千円そこらで 何から何まで食べ放題だった
各種の肉に野菜にスープにフルーツにスイーツ系まで全部だ
食べ盛り?で まさに肉食系だった私と寮の仲間と連立って
週末ともなると 寮の夕食をキャンセルして駆けつけた

とりあえず牛肉を中心に肉を食べまくった
ときどき申し訳程度に野菜をはさむが当然メインは肉だ
肉だけで満腹×150%くらいには達するのであるが
悲しいことに貧乏人根性が染み付いている私
普段なら絶対食べないフルーツやらゼリーやらアイスまで食べる
もう“お勘定”の頃は満腹×200%にはなっている 情けない!
ここは残すと罰金を取られるので残った肉をコンロで灰にした
U---m 今度生まれてくるなら金持ちんちに生まれてきたいものだ

寮に帰って翌朝(日曜日)になると ほぼ下痢をした
私だけでなく仲間もほとんど例外なく腹をこわした
原因の半分は食い過ぎだが 後の半分は“衛生問題”だ(と思う)
一応? メニューに 牛・豚・鶏ナンタラの表示はあったが
誰に聞いても なんの肉だかよくわからないのがあったし
いくら噛んでも噛み切れない肉にもよく遭遇した
どうだろう いまの時代だったら今回の騒ぎぐらいにはなってたかも

ま しかし そんなことは全然おかまいなしだった
だって いくら原価が安かろうが 出所不明の肉だろうが
あれだけ食えば 店側の赤字は絶対にまちがいない
あの値段であんだけ食わしていただいたのなら
少々腹をこわしたくらいで文句を言う筋合いではない

消費者も大らかな時代だった

って お前らだけだろう!?  だよね
...もっと詳しく

2011.05.08:tnw:コメント(2):[メモ/その他]