FPのひとりごと
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脱ガリガリ君・・? 徳俵
いつの間にか 年の瀬が近づいてきた
昨日 “喪中につき・・・ご遠慮・・” が何通も届いていた
だいたい私と同年代の方からいただく喪中葉書が多い
我が世代の両親は だいたい八十代というところなので
そういう年並なんだろうねー(私も昨年母を亡くした)
本人が亡くなったら 喪中葉書が届くこともないのだろうから
櫛の歯が抜け落ちていくみたいに 賀状の枚数が減っていくんだろうねえ
なんだか『最後の一葉』みたいで切なくなってくる・・
って 乙女じゃあるまいし たそがれてる場合じゃない
退院したときの私の体力は・・
U−−−m 体力と呼べるものすらなかったかも
なにせ 握力が 左手5kg 右手0kg んっ“0”!
正確には 何十グラムかはあったのであろうが
測定器のデジタル表示には『0.0kg』と表示された
生まれたての赤ん坊でさえ0kgということはない
握力だけで見ても 赤ちゃん以下というレベルだった
下肢は 若干膝の曲げ伸ばしがベッド上でできるくらいで
歩行はおろか つかまり立ちすらできなかったのだから
歩行レベルでいけば 1歳未満というところだった
この状態で 回復は“奇跡”と宣言されてたわけで
まあかなりのハードな状況ということだけはおわかりいただけよう
でもってさらに 悶々としていた半年間で下腹部についた9kgのラード
このラードを燃焼しつつ(減量しながら)筋力強化を果たし
そこから 運動機能の回復と筋肉増量での脱ガリガリ君を目指すという
猫ひろしの日本代表でのオリンピック出場など全く問題にしないほどの
てっぺんが雲に隠れて見えないくらいの高いハードル設定であった
とはいえ
力んだところで なにも好転しやしないので
ちょっとでも動くカラダの部位を動かしてみることにした
2011.11.30:
tnw
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脱ガリガリ君・・? 粘り腰
9ヶ月の長期入院を終えて帰宅した私
帰宅というか退院は果たしたのであるが
それは健康保険の制度上やむなくの退院であった
リハビリ専門病院での入院は6ヶ月が限度だったが
退院の環境がなかなか整わず 結局7ヶ月の長逗留となった
(計算が合わないって? 公立病院の2ヶ月を加えてください)
最後は“もう無理ですから とにかく出てってください”という感じだった
(これ 小泉政権時代の構造改革=医療制度改革のとばっちりだ ったく〜)
でも
実情は 退院できるような体況には全然ありませんでした
だって ベッド⇔車椅子の移乗が一人ではできないし
食事や衣服の着脱といった生活の基本部分も殆どできない有様
惨状を見かねた福祉事務所の方が 介護系の療養施設を探してくれてました
こりゃ言われるまでもなく 施設に入った方がいいか とも思いましたが
年齢の問題で介護保険が対象外となり 入所できる施設もありません
かといって 家族やヘルパーさんに張り付いてもらうわけにもいかず
とにかく ある程度 一人で“がんばらねばならん”状況になりました
ま 成り行き任せってやつです 得意っちゃー得意ですが・・
環境が人を変えるというか 必要は発明の母というか・・?
まあ そんなようなところで 少しずついろいろやってみることにしました
なるようになる ならんものはならん みたいな感じで・・?
いろんなとこの可動域が狭い 筋力がない というのはこりゃしゃあない
いままでどおりにやろうとするから結果としてできないという結論になる
ならば“できない”ことをベースにして ゼロから組み立ててみようと
そしたら 独力で車椅子の移乗ができるようになりました
これ 障害者には画期的なことなんです
(人間にとって当たり前の)『移動の自由』を手に入れたわけですから
カップヌードルにお湯を注いでから“ズルズル”もできたんです
これで少なくとも家で餓死することだけはなくなりました
こうやって なんとか“障害者ライフ”の形が見えてきたのでしたが
食生活も成り行きに任せてしまい 半年で9kgも太ってしまった
これをなんとかせにゃならんという緊急課題が見えてきたのでした
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2011.11.29:
tnw
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脱ガリガリ君・・? そろそろ
のっけからなんであるが・・
脊髄というのは脊椎の中を通る中枢神経だ
簡単に言うと 脳からの命令を体内各器官に伝えるメインケーブルだ
私は事故で このメインケーブルを損傷してしまった
このケーブルが切れていたら 死んでいたかもしれないし
たぶん 全身不随は免れなかったであろうと推測される
私は首の骨(=頚椎)の上から4番目と5番目の間に損傷がある
同じ損傷なら 上にある頚椎の方がダメージ(障害)が重くなる
私の友人は 3番目に損傷を受け ほぼ全身不随だ
ほんの数cmのことで障害の度合いは大きく変わってくる
障害者施設で重度の障害者を見ていると 私などまだまだだ・・?
とはいえ
主治医は 我が医学的障害等級は機能回復が望めないとはっきり言う
要するに いくらリハビリをがんばってもどうにもならんよ ということだ
入院して1ヶ月くらいのとき 回診に来た若い整形外科医に
『奇跡だって起こるかもしれない』 と言われ
本人は慰めたつもりだったのかもしれないが
治る気バンバンだった私に絶望を投げつけてったことがある
学術的には彼の言うことが正しいのかもしれないが
こういう医師には 医療の“いろは”から教え直さねばなるまい
この言葉がきっかけになって 私は一転がんばらない人になってしまう
がんばらないし なにも考えたくない腑抜け人間になってしまう
人間 なにか目標とかゴールとかが見えるから努力をするのであって
回復しない!と医師に宣言された身体の約7割不全の障害者に
目標やゴールを設定しろと言われたって そいつぁーご無体ってなもんだ
ということで 事故から9ヶ月後に(ほぼ強制)退院しても
我が運動機能・各部位の可動域にはほぼなんの回復もなく
大きな大きな不安を抱えたまま自宅に戻ってきたのであった
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2011.11.28:
tnw
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成長神話 低迷実話
先日 ラジオを聞いていてハッとさせられたことがあった
バブル崩壊以降しか知らない世代は
日本が成長していくところを見たことがない と
不景気で停滞している日本しか知らない と
『 ! 』 まさに“耳から”うろこだった
いやー そういうことだよねー 言われてみれば
バリバリだった頃の日本を知らない世代 いるんだねー
思えば 我が世代は『右肩上がり』しか知らない世代だ
物心がついてからは
東京オリンピック
高度経済成長
大阪万博
JAPAN AS No.1!
(こういうふうに書き連ねていくと 今の中国みたいだねー)
オラオラオラと肩で風切って ブイブイいわしてた時代だ
高失業率とか 就職難とか 就職氷河期とか言われている昨今
頭では理解できているつもりだし 勿論 事実に違いはないのだが
“仕事がない”という実態を現実として受け入れることができない
だって 選り好みさえしなければ仕事はいくらでもあったんだもの
そんな感覚で社会人時代のあらかたを過ごしてくればそうなるって
昇給がない ボーナスがない・・ U---m 信じられない
我がサラリーマン時代は こうだった
まず定期昇給は大前提としてあって 全く別口でのベア交渉だ
(ベアとはベースアップのこと 基本給部分の昇給額のこと)
で さらに 臨給(ボーナス)の年初一括協定(年間月数交渉)があった
いずれの項目も前年以下などということは労使共に全く想定外だった
というより上昇率の幅や昇給の額をどうするかで交渉した
『実質給与』とかいう究極のサラリーマン寄りの考え方があった
インフレ時代に“普通に”昇給していたのではインフレに飲み込まれる
インフレでの物価高を吸収する実質的な昇給を目指すというものだ
なんのことはない 普通の昇給にインフレ率分を乗っけるってことだ
こんな 今では夢のようなことが ごく普通に行われていた
ごく普通に・・
バブル崩壊を1991年とすれば そこから現在までは20年だ
この二十年間 日本は ずーっと低迷したままだ
経済だけならまだしも 政治の世界も混迷の闇の中だ
この二十年間に社会人になった世代の人にとって
日本という国は その目にはどういう風に映っているのだろうか
我々中高年の目に映る日本とは明らかに違っているんだろうと思う
私だって 日本の国力の衰退は頭ではわかっているつもりだ
でも どこかにまだ“こんなもんじゃない”と信じている部分がある
理屈抜き根拠レスの『陽はまた昇る』を無邪気に信奉する自分がいる
我々のカラダには成長神話が染み付いているのだ
このところ ずーっと感じてきたジェネレーションギャップ
それは なぜ目一杯がんばらないんだろう?という思いに凝縮される
君達! いま ここで がんばらずに どこでがんばるんだよ と
でも がんばった先のビジョンが展望できないような社会で
ただ闇雲にガンバルことに疑念が生まれるのはある意味当然だ
我々は ばかみたいに闇雲にがんばってきたが
それは成長神話を無邪気に信じられる土壌があったからだ
先に行けば行くほど暗い未来予想図しか描けない今の日本で
成長というものを実感したことのない若い世代に
ただ『ガンバレ!』と叱咤するのは“お門違い”もいいところだったんだ
やっと そこんとこ(=悲しい現実)に気付いた
しかし
『がんばる』は日本人の美徳だ
がんばらない日本に なにが残るのだろう
がんばることしか自己実現の方法を知らず
がんばることの先にしかユートピアの見つけ方を知らない我々は
これからなにを目的として生きていけばいいのだろうか
わ か ら な い
しょうがないから“がんばって”考えていこう・・
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2011.11.26:
tnw
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脱ガリガリ君・・? ほんとにおしまい?
ビアフラ(の悲劇)を知っている世代は相当限られている
子供の頃のことなので 事情はよくわかっていなかったが
戦争による飢餓でガリガリに痩せた子供たちの姿が忘れられない
ふと なにげに見てしまった我が肉体
それは まさしくビアフラの難民となった子供たちだった
彼らは骨と皮だけのガリガリなのに栄養失調から下腹部が膨らんでいた
彼らには何の責任もないのだが それは正視に耐えられるものではなかった
我が肉体も 一度 筋肉をあらかたそぎ落として体重49kgになった後
暴飲暴食を半年間重ねたことで 9kg増の58kgとなったのであるが
(健常者には暴飲暴食にはならないが 基礎代謝の低い私にはそうだった)
その9kgは無駄肉や油脂となり 我が下腹部にへばりついていたのだ
まあ 自分のことだから言ってもよかろうが
この世のものとは思えないほどの醜い肉体であった
だって ガリガリなのにポッチャリおなか・・ 愕然とした
へこたれました とことん
つい一年ほど前まで ナル的ボディーをほしいままにしてきて
なにかそんな機会があれば 割れた腹筋を見せんばかりの勢いだったのに
(実際に そんなことをしていたら犯罪になっていたであろうが・・)
あまりの無様な変わり様に声を失った
でも そこが 原点になった
2011.11.24:
tnw
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脱ガリガリ君・・? これでしまいか
入院した事のある方には 頷いてもらえると思うが
病院の食事というのは例外なく“まずい”
まず 味が薄い 味がほとんどないものもある
塩分・糖分・カロリー等の摂取制限という問題があるんだろうが
筋子・たらこ・塩辛を大好物とする小生としては“食った気がしない”
さらに 入院患者の平均年齢に合わせて 歯ごたえのないものが多い
端的に言えば『菜っ葉系』の『煮物』や『おひたし』が異常に多いのだ
こういう『味なし老人食』が入院中は延々と続くわけで
三日もすると 楽しいはずの食事が治療に思えてきて苦痛になる
私は この苦痛を9ヶ月も耐えてきた ほぼ拷問に近い
退院して 一応何でも食えることになった
スープまで全部飲み干したカップ麺の美味かったことといったらない
とにかく9ヶ月の反動で 食べるものすべてが新鮮で美味しかった
おかげで
退院直前 49kgだった我が体重は半年で58kgになった
たった半年で 9kgも太ったわけで とんでもないリバウンドだ
さて
この9kg分の“お肉”一体カラダのどこについたのだろうか?
この頃 私はマイボディーにはノーケア・ノータッチだった
もはや自分の“管理下”におけなくなったものに無関心になっていたのだ
でも ある日 入浴施設の鏡に映った我が身をなにげに見てしまった
この世のものとは思えなかった・・
2011.11.21:
tnw
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