先日のこと。
石巻市大川小学校震災遺構にいってきました。
当時小学生の娘さんをここで亡くし、今は語り部をしている佐藤先生にお話を伺いました。
震災遺構とはいえすっかり整備されてしまったそうです。
残して語り継いでいくご遺族の意思は、あまり反映されておらず、と言っていました。
地震がおきて校庭に避難しました。
校庭に避難し約50分間とどまっていました。
避難経路は多々あるけれど、幅1メートルに満たない通路から校外へ出たところで、津波にあったそうです。
学校の裏山には授業で何度ものぼっていたのに、この時は避難しませんでした。
写真を拡大すると斜面の中腹に白い立札が建てられています。
ここまで津波がおしよせ、校舎の2階の屋根をすっぽり覆う高さです。
震災遺構に訪れた人のための避難経路が立て看板になっていました。
目の前にある山には登らずに、3キロ離れた車で4分かかる山の中腹に避難するように、という指示が書いてあります。
実際にその場に訪れて、お子さんを亡くされた佐藤先生のお話を伺うと「なぜ?」がたくさんあふれてきます。
なぜ、校庭で50分も待機していたのか。
なぜ、のぼり慣れた裏山に避難しなかったのか。
なぜ、人ひとりがやっと通れる細い通路を利用したのか。
なぜ、行き止まりの道を非難することになったのか。
ご遺族の皆様の方がもっとたくさんの「なぜ?」に向きあって10年を過ごされてきました。
話しをしてくださった佐藤先生が
「我が子をみなさんの教訓にするために産んで育ててきたわけではない。
せめて教訓にしてくれないといたたまれない。」と言っておられました。
とても重い言葉です。
二度と同じような悲劇が起きないようにしなければと思います。
おりしも今日は43年前に宮城県沖地震が発生した日です。
ブロック塀の倒壊で犠牲になられた方が多かったと記憶しています。
やはり、二度と同じような悲劇が起きないようにしなければと思います。