卯の花姫物語 4-⑦ 2度目の総攻撃準備

牙城二度目の総撃準備
 寄手の軍勢を皆殺しに打ち破った翌日であった。定七が考えた。彼は元古寺の寺男として,恩師の上人に仕えていたので大忍坊覚念が顔はよく知っていた。彼奴は必ず死んだとは思うが,死骸を捜して首を取って来て,姫の桂江が前で首実検に供えて安心をさせないでは心残と思った。定七は,一人で敵兵の死骸累々たる中を捜し当てて持って来た。姫と桂江並に自身も三人で実検した。いずれも恩人の仇を打ったので大喜びの満足であったのだ。
 一方宮の宿では,わずかの残留兵はそうした味方の大敗を,山稼ぎの里人から聞いて手の舞い足の踏み処を知らぬと云う驚き方であった。が,どうする事も出来ないので、早速早馬を飛ばして,有りのままを鎮守府の武忠が処へ通報した。
 その敗報を知った武忠が驚きと共に怒りは又甚だしいものであった。武忠は自ら進んで安倍の残党狩りを受け持ったのであるから,一切自分が責任であるので、自ら更に二百余人の大軍を率いてやってきた。宮の宿に到着したのは七月の十九日であった。軍議をこらし又も惨敗を重ねてはいられないと今度は沢登りの攻撃でなく草岡村から峯越しに牙城の背面攻撃をして、今一と度び,降参勧告を試みて応ぜぬ時は愈々破れかぶれだ。可愛さ余って憎さが百倍だ。一撃のもとに討伐してしまおうと云う戦法に考えたのである。
 そうして総攻撃の期日は来る八月一日の早天から出陣と決め,戦の準備おさおさ怠りなかったのである。この様子は一々姫がかねて放ち措いた味方の里人の応募兵が斤候の通報によって姫は判っていた。愈々今度こそは,たとえ敵兵たりとも無益の人命は一兵も損ぜずに,自分が死んでしまうばかりと覚悟を決めた。其の日のくるのを待っておると云う。
 或夜姫は,愛臣桂江一人を連れて陣営の外に出て行った。少し離れた人なき処に二人で座った。膝元近くに引き寄せて懇々と遺言を語った。こりゃ桂江,吾が身が死す可き時節は愈々近日に迫っている。武忠が総攻撃の期日は,来る八月一日と云うことである。此上無益の人命は敵兵たりとて損んず可きではない。俺が死んでしまえば,一門残らず滅亡の吾が家であってみれば,死後を弔うてくれる人一人いない吾が身である。御身これから慈を落ちのびて、どんな難儀をしても耐え忍び,何処くの果てでも身二つになって,生まれた子供を大切に守り育て,吾が亡き後の菩提を弔うてくやれよ,と涙と共に語った。
 姫は,家経が最後の文使いに古寺に泊まって行った時、桂江が腹に子を宿し,今は己に妊娠三ケ月の腹であるのを早くから見つけておったのである。
2013.01.09:orada:[『卯の花姫物語』 第4巻 ]

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