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地名考 小屋・高野

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奈良時代に「畿内七道諸国郡郷の名、好字を付けよ」と勅令が出ました。

そこで、地名に漢字を当てる際は好字(良い意味の字)を用いることになりました。

例えば、芦(アシ)は悪しに通じるので、葦(ヨシ)にして「吉」の字を当て、吉野・吉原といった地名になりました。

また、芳を使った芳ケ沢(ヨシガサワ)の字名が釜渡戸にあります。

 

中川地区の字名に「小屋」「高野」があります。

コヤは荒野の新開地のことで、江戸時代の新開地「新田」より古い言葉になります。

荒野の字に別の漢字が当てられました。

(庄内地方では興屋の字が使われます。)

 

画像1は以前セブンイレブンがあった字「鹿間小屋」です。

画像2はファミリーマートがある字「高野」です。

どちらも集落に近い下流側の傾斜地なので、水を得やすい場所から開墾されたのでしょう。

 

参考:山形県の地名研究 長井政太郎著

   地名のなぞを探る~やまがた~ 木村正太郎著

2022.02.02:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 川樋

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  • 地名考 川樋

中川地区の川樋(カワトイ・カワドイ)という地名の由来となった場所を紹介します。

河樋とも書き、戦国期から使われていた地名です。

赤湯町史によれば「河を越す樋から起こったものであろう」と記載されています。

 

川樋字清水尻(川樋の下(しも))の田(画像1)は諏訪神社の不老泉を利用していましたが、干害に遭いやすい地域ですので、雨が降らないと下流の田に水が流れません。

また干害の年は前川の水も干上がりました。

そこで利用したのが大洞の山崎山に湧く山崎の泉でした。(画像2)

JRの山崎踏切の近くにあります。

前川(画像3)の上に樋(画像4)を渡して、山崎の泉から清水尻の田に水を流して水不足に対応していました。

なお、護岸工事や土地改良工事で地形は名付けられた当時と大きく変っています。

 

地名は元々、話し言葉で後から漢字がつけられました。

柳田國男氏の「地名と歴史」に「奥羽各地で家々に近い物洗場または水飲み場をカワド・カードという・・」と記載があります。

川樋集落には諏訪神社の不老泉や虚空蔵山麓の寺清水などがありました。

カワドがあった地域に、特徴的な「川」を越す「樋」が出来たことから「川樋」という漢字の地名になったと推測します。

2022.01.31:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 聖徳太子の碑

  • 小岩沢 聖徳太子の碑
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中川地区バスの「小岩沢公民館口」停留所の近くに「聖徳太子」の碑があります。

 

中川駅を作る際(明治36年開設)、当時は蒸気機関車であるため給水施設も必要でした。そこで、給水用の貯水槽と飲み水用の貯水槽を2つ作り、駅まで亜鉛管で引いて、落差で給水出来るようにしました。

その水槽を作りにきた職人達で「聖徳太子」の碑を建てたと言われています。

 

日本で初めて本格的な寺院を建立した聖徳太子は、太子講として職人達の信仰を集めてきました。

工事記念に自分達が信仰する「聖徳太子」の碑を建立したものと考えられます。

 

参考:ふるさと中川

2022.01.14:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 岩部山2

  • 小岩沢 岩部山2
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石柱の上側に石祠が2基建っています。

画像のとおり、奇跡的に倒木による石祠の損傷はありませんでした。

石祠の中に奉納板が納めれているのですが、墨はほとんど消えています。

 

向って右側の石祠(画像2・3)は「奉勸請秋□□□」と見えます。

おそらく秋葉山(秋葉大権現)を祀っていると思われます。

秋葉山は火伏せの神様です。

 

向って左側の石祠(画像4・5)は「奉造立金□□□」と見えます。

「金」の下側の文字跡をよく見ると「金□羅大□□」のようです。

金華山や金山羅古神ではなさそうなので、おそらく金毘羅様(金毘羅大権現)を祀っていると推測しました。

元中山地区には「金毘羅講」があったという話を聞きましたが、小岩沢地区にもあったのでしょうか。

ご存じの方がいればご教示願います。

 

金毘羅様は航海安全の神様とされて全国的に信仰されていますが、山国の置賜地方では火伏せの神様としても信仰されてきました。

 

参考:南陽市史 民俗編

2021.12.16:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 岩部山

  • 小岩沢 岩部山
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岩部山の小岩沢側に石柱が建っています。

(画像は以前、撮影したものです)

画像1の大きな岩の上にあります。

石柱の正面に「奥羽石材商会」の銘があり、大正11年(1922)に建立されました。

岩部山の小岩沢側からも大正時代から採石が行われていたようです。

(小岩沢側にも石切場跡が数カ所あります。)

背面には住所の銘もあり「日本橋区箔屋町」と刻まれています。

 

大正11年は「中川石採掘組合」が設立され、川樋側の岩部山からも採石が行われていました。

 

参考:南陽市遺跡分布調査報告書(5)

2021.12.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]