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「トンネルを抜けると、も~っと長いトンネルだった」…のり弁物語の顛末記~“密室”行政が各地で問題化!!??

  • 「トンネルを抜けると、も~っと長いトンネルだった」…のり弁物語の顛末記~“密室”行政が各地で問題化!!??

 

 小原(勝)市政がスタートした2月5日付で、新花巻図書館に関するJR交渉の経緯を記録した文書の開示請求をしていたが、ほぼ全部が黒塗りされた“のり弁”だった。首長が代わって、少しは情報開示の立ち位置に変化があるのかと期待したのだったが…。

 

 上田(東一)前市政下の末期、新図書館の設計業者を選定する「公募ポロポーザル方式」(令和7年7月24日)が始められ、約4ヶ月後の12月3日には応募した61企業体の中から1社が選ばれた。この間、10月2日には上田市長が4選出馬の断念を表明するなど慌ただしい動きが続いた。「駅前立地」に向けた最終局面の裏舞台で一体、どんな交渉が行われたのか。ちょうど、「駅前か病院跡地か」ーという”立地“論争に市民の関心が高まっていた時期だった。

 

 この間に該当する非公開の交渉記録は令和7年7月30日付から同12月22日までの計4回分。ところが、「設計・測量業務に向けた現地確認」や「新図書館整備に伴う(JR側との)の打ち合わせ」などの表題部分が開示されただけで、肝心の内容は一字一句残らず、真っ黒に塗りつぶされていた。その分量は何と25ページにも及んでいる。万人に開放されるべき公共図書館がなぜ、秘密裏の中に置かれなければならないのか。本来、公(おおやけ)に開かれるべき神聖な空間について、何か外部に秘すべき事情でもあるのだろうか。

 

 「市民一丸」を掲げる小原市長に求められるのは何よりも透明性のある行政運営である。その尺度になるのは当然、「情報開示」のあり方であろう。前市政ではたまに「チョイ見せ」や「ウッカリ見せ」もあったが、後継市長は鉄壁な”守備固め”か…

 

 

 

 

(写真は開示された“のり弁”。新図書館号は結局一度もトンネルから姿を現すことはなかった)

 

 

 

≪追記ー1≫~清瀬市でも非公開が問題化!?

 

 東京都清瀬市長選で争点となった市立図書館再編問題を巡り、2023年に市が設置した有識者会議「これからの清瀬の図書館を創造する会」の議事録や資料が、1日から市のホームページ(HP)で非公開になっていたことが分かった。市によると、25年度末で閉じる設定にしていたためという。本紙の指摘を受け、6日に再び公開された。

有識者会議の議事録が1日から非公開になっていた清瀬市のHP 

 会議は23年6~10月に3回開かれ、図書館を6館から2館に減らし宅配サービスを導入するという、市の当時の案などが議論された。会議の意見を参考に市が24年2月に立てた「市立図書館サービス基本方針」では「6館体制を見直す」としか表現されず、図書館縮小について住民投票を求める市民らから情報公開のあり方に疑問が出るなど、議論になっていた。市HPは公開期限のルールはなく、平成時代の会議録なども残るが、有識者会議の議事録は当時の担当者が25年度末に指定したという。原田博美市長は6日の会見で、2年の公開期限を「適切だと思わない」と話した(4月8日付「東京新聞」電子版)

 

 

≪追記ー2≫~しょせん…!!??

 

  「市政堂」を名乗る方から、以下のような辛らつなコメントが寄せられた。タイトルはずばり、「しょせん(所詮)」…

 

  「市民の声を聞く“市民一丸“を掲げての当選劇も、どこまで信用できるのか?増税メガネと言われた某総理も『聞く耳』を強調していたっけなァ。 前市政を踏襲するのが楽だし、行政にどっぷり浸かってきた経験が逆に足かせになって、これまでの市政にメスを入れることができないのではないだろうか」

 

 

≪追記―3≫~ありゃまあ。この“迷走”ぶりはイーハトーブ議会とそっくりですな!!??

 

 閉館した4つの図書館の再開を公約に当選した東京都清瀬市の原田博美市長が旧市立中央図書館の再開を断念した問題(4月2日付当ブログ「追記―3」参照)で、原田氏が市議時代に、中央図書館の解体を前提とした中央公園整備工事請負契約議案に賛成していたことが分かった。原田氏ら共産党会派の4人は反対討論を行わず、修正案も出さず、議案は全会一致で可決されていた(9日付「産経新聞」電子版)

  

 

断捨離「大作戦」(「本の目利き」三人衆―その3=完)…「シシ」になった男の“変身術”~あちこちで、“図書館”論争も!!??

  • 断捨離「大作戦」(「本の目利き」三人衆―その3=完)…「シシ」になった男の“変身術”~あちこちで、“図書館”論争も!!??

 

 「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之(これ)を語りて平地人を戦慄(せんりつ)せしめよ」―。民俗学の父と言われる柳田国男(1875~1962年)の代表作のひとつ『遠野物語』(1910=明治43年)の初版序文にはこんな不気味な言葉が置かれ、その一節にこうある。「天神の山には祭りありて獅子踊(ししをどり)あり…獅子踊と云ふは鹿(しか)の舞なり」

 

 『シシになる。―遠野異界探訪記』(2025年6月初版発行、亜紀書房)―。著者は“平地人”の代表選手とも言える若き都会人―東京都内の広告代理店に勤めていた富川岳さん(39)で、己自身が「シシ」に変身するという奇想天外な内容である。2016年に地域活性化プロジェクトのメンバーとして、遠野市に移住。河童や座敷童子、山男・山女、天狗など様々な妖怪と神々が跋扈(ばっこ)する“異界”に突然、投げ出された。

 

 柳田が100年以上も前に「戦慄」したのが、附馬牛(つきもうし)地区に伝わる「張山(はりやま)しし踊り」だった。富川さんがその踊り手になるまでのまさに鬼気迫るばかりの“変身”ぶりについては、とても愚筆の及ぶところではないので、ぜひ手に取ってお読みいただきたい。私はためらわずに現代版『遠野物語』と命名した。こんな美しい響きの言葉に耳目を奪われた。

 

 「遠野巡灯篭木」(トオノメグリトロゲ)―。遠野には初盆から3年間、先祖が迷わずに家に戻れるように盆明けまで、軒先に目印の高い木を立てる風習がある。木の先端には提灯(ちょうちん)と戒名を書いた布がぶら下げられ、「迎灯篭木」(ムカイトロゲ)と呼ばれる。一方、冒頭の「メグリトロゲ」は郷土芸能と現代カルチャーを織り交ぜた「コラボ」演出で、コロナ禍の2021年に初演を迎えた。富川さんはこうした活動のあり方を「Reboot Folklore」(地域文化の再起動)と定義している。

 

 「元祖の柳田本を脚本・演出したのが(宮沢)賢治の物語世界ではなかったのか」―。新旧の『遠野物語』を合わせ読むうちにハタと思い至った。そして、その仲介役こそが賢治とも交流があった語り部の佐々木喜善ではなかったのか。『なめとこ山の熊』や『鹿踊りのはじまり』、『注文の多い料理店』、『虔十公園林』などなどその通底性を挙げれば枚挙にいとまがない。元祖本の第8話に“神隠し”の話として「寒戸の婆(ばば)」が採録されている。こんな内容である。

 

 「(松崎村の)寒戸にいた娘がある日、木の下に草履(ぞうり)を残して消息を絶った。その30年後、親戚たちが集まっているところへ、その娘がすっかり老いさらばえた姿で帰ってきた。事情を尋ねる親戚たちに対し、娘はみんなに逢いたくて帰って来たものの、山に帰らなければならないと言って去って行った。その日は風が強かったので、遠野ではそれ以来、強風の日は『寒戸の婆が帰ってきそうな日だ』といわれたという」(要旨、ウイキペディアより)

 

 一方、賢治の代表作『風の又三郎』は二百十日の9月1日、山の分校に転校してきた「高田三郎」君がわずか10日後、風の強い日に姿を消してしまうという内容である。「あいつはやっぱり、風の神の子どもだ」―。分校の子どもは「寒戸の婆」と同じように、その背後に「神の存在」を見ているのである。物語世界に欠かせないモチーフのひとつであるその「風」がいま、窮地に立たされている。

 

 「駅前か病院跡地か」―で揺れた新花巻図書館の立地場所がとりあえず、JR花巻駅前に決まり、現在設計業務が進められている。「賢治のふるさとならでは…」という触れ込みのデザインにずばり「又三郎シャフト」なるものがある。シャフトとは「動力伝導用の回転部品」のことらしいが、プレゼン資料には「各空間からの換気経路」とあり、どうやら“風”の通り道らしい。だとすれば、これほどまでに貧相な発想はあるまい。「どっどど/どどうど/どどうど/どどう/青いくるみも吹きとばせ…」―。又三郎が歌う、空に吸い込まれそうな清らかな歌声はどこからも聞こえてこない。耳に届くのは無機質な電車の発着音だけである。

 

 『「本の目利き」三人衆―その2』で紹介した村上巨樹さんは2年前、JR花巻駅前に古書店を開業した。そして、「シシになった」富川さんも4月18日、後を追うようにJR遠野駅前に同じ古書店「河童ブックス」をオープンさせる。二人に共通するのは村上さんがギター奏者(ミュージシャン)、富川さんがシシ踊りの踊り手(ダンサー)…つまり、記憶を継承する古書群が「芸術・文化」と背中合わせに同居しているということである。まさに「Reboot Folklore」の担い手として、これ以上の人材は見当たらない。

 

 遠野三山のひとつ、早池峰山の存在がなかったら『遠野物語』が誕生しなかったように、図書館のもうひとつの立地候補地である「病院跡地」からは賢治がこよなく愛したこの霊山がキラキラと輝いて見える。賢治の物語世界(ナラティブ=物語性)を駅前のビル群の中に埋没させてはなるまい。「Reboot」(再起動)をさせるためには一日も早く、“賢治”をここから救出しなくてはならない。

 

 

 

 

 

(写真は本を分別・整理する富川さん。「本に囲まれているだけで、気持ちが高まって…」=4月2日午前、花巻市桜町3丁目の自宅で)

 

 

 

≪追記―1≫~“風の夕食”

 

 「そりゃ風だって、一日中飛び回っていたんでは腹もすくじゃろうが。“風の夕食”という言葉を覚えておけ」―。ここまで書き及んできて、アイヌの古老(エカシ)が独り言のように漏らしたつぶやきをふと、思い出した。夕方、風が急に吹き止む―「夕凪」(ゆうなぎ)のことをアイヌ語では「レラ(rera=風)・オヌマン(onuman=夕方)・イペ(ipe=食べる)」と表記する。風はまさに「生き物」そのものなのである。

 

 仮に又三郎を“空調”に見立てるようなことがあってはそれこそ、罰(バチ)が当たる。前回(その2)、当ブログに登場した『宮沢賢治殺人事件』(吉田司著)が“正夢”になってしまう。”賢治殺し”に加担させられるのはまっぴらご免である。ちなみに、アイヌの世界では「風」のことを「レラカムイ」(風の神)と呼ぶ。これを和訳すれば、さしずめ「又三郎」ということにでもなろうか。

 

 

≪追記―2≫~又三郎とは実は私のことだった!?

 

 『風の又三郎』が初めて、映画化されたのは私の生年と同じ昭和15(1940)年である。だから又三郎は私の”分身”だとずっと、思い続けてきた。ところで、映画で分教場の最上級生「一郎」役を演じた俳優、声優の大泉滉さん(故人)は前年、同じ作品が築地小劇場で上演された際は主役の「又三郎」役でデビューした。生前、その辺のいきさつを聞いたことがある。それにしても戦雲が漂う中、こうした演劇や映画が誕生したこと自体に驚愕(きょうがく)させられる。

 

 日露の血を引くアナキスト作家、大泉黒石の子として生まれた。祖父はロシア皇帝ニコライ2世の来日時に侍従役だったことで知られる。主役抜擢のきっかけについてはあのとぼけた表情で、こう語った。「まちなかで学生風の男から子役にならんかね、と。混血だから、髪の毛は真っ赤。貧乏だったから、お願いしますって…」。そういえば、賢治は作品の中で又三郎を「赤毛の子ども」と表現し、分教場の子どもたちにも「あいつは外国人だな」と言わせている。「どっどど/どどうど…」。ビールをあおりながら、あたりかまわずに高吟(こうぎん)する大泉さんの姿が懐かしい。

 

 

≪追記ー3≫~図書館の解体を中断!!??

 

 東京都清瀬市は1日、解体作業が始まっている旧中央図書館の解体工事の中断を決めたと発表した。3月29日に投開票された市長選で大きな争点となったのが、昨年、6館から3館に減った市立図書館をめぐる問題だった。旧中央図書館の解体中止を掲げた、無所属新顔で前市議会副議長の原田博美氏(50)=共産、社民推薦=が、無所属現職の渋谷桂司氏(52)=自民、公明推薦=を破り、初当選した。同市は解体中断を決めた理由について、選挙結果を踏まえ「市民の意向や新たな市政運営方針を総合的に判断した」としている」(2日付「朝日新聞」電子版)

 

 

≪追記ー4≫~一方では、移転・新築オープンへ

 

 新しい広島市立中央図書館が4月1日午前10時、JR広島駅前に開館する。開館に先立ち、報道陣向けの内覧会があり、明るく開放感のある館内が披露された。新図書館は、広島駅と歩行デッキで結ばれた商業施設「エールエールヒロシマ」の8~10階にある。中央の吹き抜けやイベントスペースを囲むように、書棚が配置されている。広々とした通路を周回しながら、本探しを楽しめるレイアウトだ。大きな窓から採光する構造にもなっている。

 

 ただ、地上階から図書館フロアに直通するエレベーターはなく、休日の混雑時は館内移動に時間がかかる恐れがある。松井一実市長は「来館者が増えるきっかけになるならば、うれしい悲鳴」としつつ、「利用状況に応じて、問題が生じれば必ず解消する心づもりだ」と話した。図書館専用の駐車場や駐輪場は設けていない(3月29日付「朝日新聞)=(註)広島市立中央図書館をめぐっては、当市と同じように市民の反対運動や公文書の非開示問題などがあり、オープンが大幅に遅れた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

断捨離「大作戦」(「本の目利き」三人衆ーその2)…「港」という小宇宙の不思議な空間!!??

  • 断捨離「大作戦」(「本の目利き」三人衆ーその2)…「港」という小宇宙の不思議な空間!!??

 

 「人や本や、そして色んなモノたちがより集う場所こそが港。だから、『港』と名づけたんです」―。原油の積出港が攻撃され、ホルムズ海峡の封鎖問題で全世界が揺れる中、私は店主の村上巨樹さん(43)の言葉に「そうだよな」といちいち、うなずいていた。名刺には「古書、レコード・CD、東南アジア食品…」と印刷され、裏には入港する大型船のデザインがあしらってある。JR花巻駅近くに2年前の秋に開業。いわゆる、“古本屋”とは一味ちがう雰囲気である。突然、店の奥からギターをつま弾く音が聞こえてきた。

 

 もともと、音楽好きだった村上さんは中学1年の時、ギターの音色に取りつかれた。特訓を受け続け、ギター奏者としての腕はめきめき上達した。やがて、作曲も手がけるようになり、自主音楽レーベル「CADISC」を主宰するほか、ギターとドラムだけのバンド「te-ri」(テーリ)を結成。ヨーロッパやアメリカの縦断ツアーも敢行した。転機が訪れたのは東日本大震災(3・11)。地元・花巻の高校から東京の大学を卒業し、ごく普通の社会人生活を送っていた。未曽有の大災厄…村上さんはきっぱりと都会に別れを告げた。

 

 田舎暮らしのそんなある日、何気なく聴いたYouTubeからポップ調の音楽が流れてきた。海を隔てたミャンマー(首都ネピドー)で開かれた音楽イベントの映像だった。これまで耳慣れない旋律(メロディー)にビビッときた(らしい)。それはひょっとしたら、“民族の魂”みたいなものだったのかもしれない。2016年、念願のミャンマ―へ。祭りや儀式に流れる、仏の国ならではの独特の旋律に肌が敏感に反応した。生来とも言える“文化人類学”的な嗅覚がそれを生み出した風土や歴史の探求に向かわせた。

 

 太平洋戦争中、旧日本軍はタイとビルマ(現ミャンマー)とを結ぶ泰緬鉄道〈415km〉の突貫工事に着手した。旧連合国捕虜や現地のアジア人労働者など10万以上が犠牲になり、“死の鉄道”とも呼ばれた。昨年9月、タイ側のカンチャナブリから現場に足を運び、当時のビルマ戦線の悲惨な歴史の記憶を心に刻んだ。

 

 映画「ビルマの竪琴」(竹山道雄原作・市川崑監督、1956年)は日本兵「水島上等兵」が復員後、僧侶に帰依(きえ)して亡き戦友の霊を弔うという筋書きである。水島上等兵が竪琴で「仰げば尊し」をつま弾くシーンが後半部分に出てくる。日本への帰国が決まった戦友とビルマの土になることを心に決めた水島上等兵との最期の別れの場面である。「今こそ別れめ、いざ、さらば…」―。「加害と被害の描写があいまいだ」という批判を承知しつつ、私はこのシーンに何度も涙をこらえることができなかった。

 

 「僧侶が音楽演奏をすることが禁止されているので、この映画は今もミャンマ―では上映禁止になっています」と村上さんは話し、こう続けた。「でも、あの最後の場面にはやはり…」―。「サウンガウッ」と呼ばれる竪琴は千年以上の伝統を有する民族楽器で、映画に使われたのもこれである。「まだまだ、手が届きません。一日も早く、あの深い音色を自由に操りたい」と村上さん。と次の瞬間、背後の本棚からどぎついタイトルの本が目に飛び込んできた。

 

 『宮沢賢治殺人事件』(1997年3月、太田出版)―。筆者のノンフィクション作家、吉田司さんとは旧知の仲だった。この1年前、賢治のふるさと「イーハトーブはなまき」は生誕100周年を祝うイベントで盛り上がっていた。ある時、彼から突然電話がかかってきた。

 

 「このお祭り騒ぎにはホトホト、嫌気がさしてきた。おれは賢治の聖者伝説、つまり“神話崩し”をやろうと思う。ところで、あんたのふるさとは花巻だったよね。ただのぶった切りでは身も蓋(ふた)もない。あんたは等身大の賢治を描いて、合わせて一本勝負というのはどうかね」―。滑り込みのセーフ。賢治が“殺される”、わずか1か月前に上梓されたのが拙著『賢治の時代』(1997年2月、岩波書店)だった。

 

 ギターの音が聞こえなくなった。副業にしている「ギター教室」が終わったようだった。ブログ用の写真撮影に応じた村上さんがポツリと言った。「僕はアイヌ民族の『ウポポ』(座り歌)にも興味があるんです」―。コロナ禍で最後の古書店が消えたのが開業の直接のきっかけだったが、約5000冊の本に囲まれた空間に身を置いているうちに違った肌合いを感じた。「時間と空間とが無限に交差する小宇宙」…これこそが古書店「港」ではないかと。そして「真の意味でのナラティブ(物語性)は古書や歌や踊りといった、混然一体とした空間から生まれるのではないか」とブツブツと独り言ちていた。

 

 

 

 

 

 

(写真はギターを手に“本談義”に興じる村上さん=花巻市大通り1丁目で)

「断捨離」大作戦(「本の目利き」三人衆ーその1)…イーハトーブ(花巻)からニライカナイ(沖縄)へ!!??

  • 「断捨離」大作戦(「本の目利き」三人衆ーその1)…イーハトーブ(花巻)からニライカナイ(沖縄)へ!!??

 

 「南と北の歴史に学ばなければ、中央(ヤマト)は見えてきませんから…」―。私の「断捨離」大作戦はこの極めつきの“決めゼリフ”がきっかけでスタートした。2年前の冬から翌年の初夏にかけて、私は沖縄・石垣島に短期移住した。当ブログでも度々、紹介した拙著『「イーハトーブ“図書館”戦争」従軍記』(2026年1月刊)の執筆に当たり、この“戦争”の実相を基地(戦争)と背中合わせの南の島から、少し距離を置いて考えてみたいと思ったからである。

 

 寄宿先のすぐそばに古書&カフェの看板を掲げた「うさぎ堂」という古書店があった。店内の「沖縄」関連本の向かいの棚には10数冊のアイヌ民族に関する書籍が収められていた。現役時代、私は若い記者仲間とチームを作り、全国版に28回にわたってアイヌ民族の現状についての連載記事を掲載した。このシリーズは後に『コタンに生きる』(「朝日新聞アイヌ民族取材班」著、1993年11月岩波書店刊「同時代ライブラリー」)と題して、出版された。その際に蒐(しゅう)集したアイヌ民族に関する書籍や資料、証言テープなどが留守宅に山積みになっていることが以前から、気にかかっていた。「この貴重な資料をバトンタッチしてくれる人はいないか」…

 

 「もし、よろしかったら…」―。老い先短い老残の願いを快く聞き入れてくれたのが「うさぎ堂」の店主、千葉茂之さんの“決めゼリフ”(冒頭)だった。帰郷した私は本棚に眠ったままになっていた関連本を数回に分けて、千葉さん宛てに送った。その数はざっと140冊。数日前、千葉さんから「『ゴールデン・カムイ』の影響で、アイヌの言葉や習慣に興味を持つ若者が増え、その関係の本が先行して手に取られています」という嬉しい知らせが届いた。『ゴールデン・カムイ』(野田サトル著、全31巻)はアイヌ文化を基底に据えた活劇マンガで、2018年にはアニメ化された作品が手塚治虫文化賞を受賞している。

 

 千葉さんは24年間、東京の書店員として働いた後、9年前に奥さんの生まれ故郷である石垣島でいまの古書店を開業した。競合する大型店舗との死闘を綴った『傷だらけの店長―街の本屋24時』(新潮文庫)と題する隠れたベストセラー本がある。著者の「伊達雅彦」は千葉さんのペンネームである。文庫版書き下ろしの中で、千葉さんは「いまだ本の仲介者として」というタイトルでこう書いている。

 

 「楽しい。新古書店で、棚に並ぶ本の背表紙をなめるように眺めて、本を探す。これほど熱くなれる『仕事』は、他に見つけることができない。ひょっとしたら、本を読むことより夢中になれるかもしれない。私はいま、『顧客』から探索を依頼された本を探している。書店という職場を離れ、それでもこの行為だけが私に残った。新刊書店という枠に捉(とら)われず、本を探している人のもとへ、困っている人のもとへ、求める本を送り届ける。この原点とも言える仕事こそ、書店員の仕事以上に、私が求めていた、本への理想的関わりかもしれなかった」

 

 「持ち主が代わり、新たな視線に触れるたび、本は力を得る」―。世界的なベストセラーになったスペイン人作家、カルロス・ルイス・サフォン(1964~2020年)の『忘れられた本の墓標』シリーズ(4部作)の中にこんな一節がある。カルロスはこうも語っている。「目にするすべての本、すべての巻物には魂がある。それを書いた人の魂、それを読んだ人、それを生きた人、それを夢見た人の魂」―。さて、この「断捨離」大作戦が今後、どのような展開を見せるのかーどうぞ、お楽しみに…

 

 

 

 

 

(写真は「うさぎ堂」の店内に並べられたアイヌ関連本=千葉さん提供)

 

 

 

 

 

『イーハトーブ狂騒劇』(全10幕)=「3・11」から15年…あの日あの時、イーハトーブの足元では一体、何が~「義援金流用」疑惑から「さっさと帰れ」発言へ!!??

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〈第1幕〉~論告求刑

 

 ●「本件に対する(懲罰)委員長報告は、増子義久君に戒告の懲罰を科すことであります。本件を委員長報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。起立多数であります。よって、増子義久君に戒告の懲罰を科すことは可決されました」●(2011年12月2日開催の12月定例会会議録から)。花巻市議会が開設されて以来初めてとなる、現職市議に対する「懲戒」処分は一人を除く賛成多数で可決された。私が「集団リンチ」事件と名づける、今なお消すことができない“悪夢”の記憶である。

 

〈第2幕〉~東日本大震災の発生

 

 発端は約9ヶ月前の3月11日に発生した東日本大震災にさかのぼる。この日、市議会では予算特別委委員会が開かれていた。前年に初当選した私は奇しくもこの同じ日に71歳の誕生日を迎えていた。何かに突き動かされるような思いで、私は宮沢賢治の「イーハトーブ」(理想郷)に託し、未来への希望を表明した。数時間後の午後2時46分、議場全体が崩れ落ちるのではないかと思うほどの激しい揺れに襲われた。未曽有の大災厄はこうして、襲いかかってきたのだった。

 

〈第3幕〉~「ゆいっこ花巻」の結成

 

 「何をやるべきか、何をやらなければならないのか―。走りながら考え、みんなで知恵を出そうではありませんか。試されているのは私たち自身の側なのです」(「設立趣意書」)―。受難者に寄り添うという賢治の「行ツテ」精神に背中を押された私は有志に呼びかけ、震災3日後に支援組織「ゆいっこ花巻」を立ち上げた。「多弁を慎め。ただひたすら被災者のこころに耳を傾け、がれきの微細に目を凝らせ」―。沿岸被災地の支援拠点のテント(コメント欄に写真掲載)には己を鼓舞するための貼り紙を張り付けた。やがて、せせら笑うような声があちこちから聞こえてきた。

 

〈第4幕〉~「義援金流用」疑惑

 

 「他人の金を自分のポケットに入れるようなものではないのか」―。震災で中断していた6月定例議会(議案審議)が6月23日に開かれ、私はいわゆる「義援金流用」疑惑について、市側を追及した。被災者への災害義援金は会計処理上、本来は別会計(歳計外現金)で処理すべきとされていたが、当市の場合は寄付金名目で「一般会計」(歳計内現金)として、計上されていたことが明らかになった。

 

 当時、当市の温泉旅館や雇用促進住宅などには千人以上の沿岸被災者が避難していた。直接、支援に当てられるべき災害義援金がこともあろうに、被災者を受け入れた温泉旅館などに「被災者受入事業補助金」として、支出されていたのである。「まるで、猫ババではないか」―。この日、その使途に疑念を持つ内陸避難者が傍聴席を埋め尽くしていた。市側はのちに、災害義援金をめぐる法的”瑕疵”(かし)を認め、会計処理を適正化したが、目の前の議場内ではにわかには信じられないような”事件”が勃発していた。

 

〈第5幕〉~「さっさと帰れ」発言

 

 「さっさと帰れ」―。昼食で質疑が中断した直後、私は傍聴席がざわついているのに気がついた。駆け上ってみると、複数の内陸避難者が「傍聴席に向かって、男性議員(故人)から『さっさと帰れ』と暴言を浴びせられた」と口々に訴えていた。私は議長に対し「着のみ着のままで投げ出された被災者に対し、これ以上の暴言はない。厳重に注意してほしい」と申し入れて、降壇した。途端に、敵意の矢がいっせいに向けられるのを肌に感じた。何か不穏な動きを察知したのである。

 

〈第6幕〉~「発言調査委」と「懲罰委」が設置、そして場外乱戦

 

 「議員発言調査特別委員会」―。私の発言内容を調査するという前代未聞の会議が議長を除く全議員で設置された。傍聴者や議場内にいた職員、当事者である私を含む議員全員に対し、約3か月以上にわたって厳しい“尋問”が続けられた。当時、傍聴席にいた妻(故人)にまで聞き取りは及んだ。「さっさと帰れ、という発言があったという確証は得られなかった」(10月4日)―という結論を待つかのようにして、今度は「懲罰特別委員会」(議員8人で構成)が設置された。冒頭の「懲罰」処分がそれである。一方で、議会の動きと並行するように“場外乱戦”(ブログコメント)も炎上しつつあった。

 

 「自作自演の狂言じゃないのか」「被災者を議場に呼び込んで、扇情まがいなことを企む」「民主主義のルール、多数決の論理にも従わず暴言を続ける71歳の悪あがき」「議員なんて辞めて、お遍路にでも出た方が市民が喜ぶと思いますよ」…。心理学上の「集団ヒシテリー」とはこのことかと思った。罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐の中で、言い渡された“判決文”にはこう書かれていた。

 

〈第7幕〉~判決言い渡し

 

 ●「増子義久議員は、平成23年10月4日の本会議において、議員発言調査特別委員会委員長の委員長報告に対する反対討論の発言中に、『一方に偏した議事運営こそが白を黒と言いくるめようと意図する委員長報告の欺瞞性を白日のもとにさらしていると思います。つまり、この報告は(「さっさと帰れ」)発言を聞いたとする10人全員が事もあろうに口裏を合わせてうそをついたということを言外にほのめかす内容』との言辞を用いたことは、花巻市議会の品位を汚したものであり、花巻市議会会議規則第137条に規定する品位の尊重に違反するものである。よって、地方自治法第135条第1項第1号の規定により戒告する」●(2011年12月定例会の会議録から)

 

〈第8幕〉~あれから15年

 

 「あれっ、まだこの人が…。顔ぶれひとつ変わってないじゃないか」―。あの日から15年たったこの日もたまたま、予算特別委員会が開かれていた。当時、私に対する処分の先導役のひとりだった阿部一男議員(社民クラブ=当時は平和環境社民クラブ)が委員長席に座っているのを見て、奇妙な感慨にふけってしまった。件(くだん)の議員は処分に際し、こう発言していた。「議会の規律と品位を保持するために科したということを重く受けて止めていただきたい」(2011年11月22日開催の「懲罰特別委員会」の会議録から)

 

 「義援金流用」疑惑から「さっさと帰れ」発言…。「むき出しの“悪意”は一見影をひそめたようだが、事態は逆に陰湿になりつつある」ー。私は予算審議の模様を議会中継を聞きながら、そう思った。いま目の前では民意を無視する形で、新花巻図書館の“駅前立地”が強行されようとしている。議会の大勢にもこれに異議を唱える気配は感じられない。議会の生命線といわれる「二元代表制」の”規律”と”品位”が本当に保持されている―と阿部委員長、あなたは本気で思っているのか。委員長としての議事進行のおぼつかなさを見せつけられ、ますます不安が募ってきた。

 

〈第9幕〉~「愛犬のコロがね…」

 

 議会中継を中座した私は市内の寺院「妙円寺」(愛宕町)に向かい、「勿忘(わすれな)の鐘」をついて、犠牲者の霊に手を合わせた。「ゆいっこ花巻」の有志が欠かさずに続けてきたこの追悼のつどいも物故者が相次ぎ、内陸避難者の今年の参加者はわずか3人だった。その中のひとりで福島原発事故で被災し、南相馬市から当市に避難した泉田ユキイさん(82)がちょっと見てと言って、スマホに保存してあった新聞記事の画面を開いた。

 

 「愛犬のコロがね、飼い主の顔を忘れたみたいに近づいて来ないの。あの時はショックだった」―。記事はこう始まっていた。当時、筑紫女学園大学(福岡県太宰府市)の学生たちが被災地のボランティア活動をしながら、被災者の過酷な体験談の聞き書きを続けていた。泉田さんは置き去りにしてきたコロのことが心配になって、約1ヶ月後に連れ戻った時の様子をこんな風に話していた。「白骨化した牛の死骸、ヨロヨロとさ迷う動物の群れ…。原発事故もそうだけれども、人間って一体なんだろうか。そんな深いことを考えさせられた」―。2012年3月20日付の「ゆいっこ新聞」に私が書いた記事だった。「私の形見よ」と泉田さん。「こうやって出会えるのも何かの縁ですね。実は今日が誕生日なんです。おかげ様で86歳を迎えることができました」と私は返した。

 

〈第10幕〉~倫理の根源

 

 15年前、被災地・宮城県石巻市出身の作家、辺見庸さんは「慟哭」(どうこく)の言葉を以下のように綴っていた。「3・11」から3代目となる小原市政の下、今夏にはイーハトーブの未来を占う市議会議員選挙が行われる。3度目の正直…今度こそ、選択を誤ってはなるまい。真の意味での「二元代表制」を確立するためにも…

 

 「怒れる風景は怒りのわけをおしえてくれない。ただ命じているようであった。畏(おそ)れよ、と。われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実,やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。見たこともないカオスに中にいまとつぜんに放りだされた素裸の『個』が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか」(2011年3月17日付「岩手日報」)―

 

 

 

 

 

 

(写真キャプション=「義援金流用」疑惑と「さっさと帰れ」発言について、真実を知ってもらうために各地区で個人報告会を開催した=2011年6月、市内の地区公民館で)

 

 

 

〈注〉~『イーハトーブ騒動記』

 

 東日本大震災に端を発した花巻市当局と市議会側の乱脈ぶりについては、拙著『イーハトーブ騒動記』(2016年3月11日、東京・論創社刊)に詳述した。本来ならば、こうした危機をきっかけに「二元代表制」が効果的に機能を発揮するはずであったが、当市の場合、逆に崩壊の道を転げ落ちてしまった。郷土の詩人で童話作家の宮沢賢治が理想郷と名づけた「イーハトーブ」の地がその現場だったことに私は言い知れない衝撃を受けた。そのトラウマを今も引きずっている。

 

 

 

 

 

 

 

★オンライン署名のお願い★

 

 

 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の(昨年)7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

●オンライン署名の入り口は以下から

 

https://chng.it/khxdhyqLNS

 

 

●新花巻図書館についての詳しい経過や情報は下記へ

・署名実行委員会ホームページ「新花巻図書館を宮沢賢治ゆかりの病院跡地に!]

https://hanamakibiblio.jimdosite.com/

 

・ヒカリノミチ通信(増子義久)  https://samidare.jp/masuko/

 

・おいものブログ~カテゴリー「夢の新花巻図書館を目指して」   https://oimonosenaka.seesaa.net/