★ 蕎麦屋の冒険はつづくのか?ぞーこー太郎は奮闘するのか?2011★

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どーもっし、ぞーこー太郎です。

クッキーを焼く@。
BGMはレゲエの神様ボブ・マーリー。
ズンチャズンチャズンチャ♪

こぞー(3歳)が一言。

「この人、歌下手だねー」

。。。神様、ごめんなさい。

もとい、ストーブだ、カレーだ、焼き芋だ、除雪だと、
何屋だか分からなくなりそうなので一応断っておきます。
うち、蕎麦屋なんです。(冬だけですが。週休2日ですが。)
ちゃんと毎朝蕎麦打ってますからご心配なく(笑)。

本日は3組5名のご来店。
世の中から忘れられてなかったようで嬉しかったです。

そして明日、明後日と定休日ですのであしからず。



冬の夜更かしは読書に限ります。
『神田鶴八 鮨ばなし』 師岡幸夫著  1986年初版
先日お邪魔したDENTAKUJIさんにお借りしたものです。

昭和5年生まれの筆者ですが、戦前、戦中、戦後の変遷が細やかに
描かれていて、当時の東京の様子が目に浮かぶようです。

また、具体的な握り方や仕込み話、親方の言葉など
ひとつも退屈しない本ですね。
味(魚介・酢飯・塩・酢・砂糖など)のバランスと、大きさのバランスに関する
考え方が、殊に興味を引きました。

今の時代に、外食で、どれだけ手をかけて、心がこもった料理が
それ相当の値段で提供できるか、食べられる店がどれだけあるか。
また、それを望む人がどれだけいるか。考えずにはおられませんでした。


一部抜粋してご紹介します。

「野球でピッチャーがボールを投げるとき、指のかかりがよかったからというような言い方をしますが、あれと同じで、鮨屋がお鮨をにぎる場合も、じつに今日は手によくなじんでいるなと、そういうときがございます。にぎっていまして、よけいな力がはいっていないし、自分の手の中で思ったようにお鮨が動いて、自分の手がぶつかりもしなければ、じゃまもしない、決まった手順で気持ちよく、無理がなくお鮨ができて、しかも形がよくできている。

〜中略〜

ところが、正直なことを言いまして、これが本当に分かるようになったのは私が五十近くになってからです。そのまえまでは、多分、わかったようなつもりでいたんじゃないかと思います。
 たまたま五十近くになってきますと、ああ、これは理想的な感覚で出来上がったという、そういうことが自分でもわかるようになってくるものなんですね。つまり、プラスの要因は何もないのですけれども、マイナスをいくら減らせるかというのが、ある意味では仕事ですから、そのひっかかるものが何もなく、スーッとできた、ああ、それはよくできているなというのが、まれにあります。」

・・・ですって。


2011.01.19:zokotaro:count(2,098):[メモ/本日の蔵高宿]
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