死に際で判断しない

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12月27日の山形新聞に山形出身で東京大学大学院教授の大沼保昭氏が「勇気ある人生求めて」と題して記事を書いておられた。

私が興味をもったのは「死に際で判断しない」という副題。

なんだろうと読み進むと・・

前略・・多くの人は、きれいに死にたい、長患いしたくない、まわりに迷惑をかけないで逝きたい、という。死に際を良くしたい。これが、医学が発達したおかげで見苦しく長くいかされてしまう私たち現代人の共通の願いである。

 それはまちがいだ、と花園大学の佐々木閑教授はいう。立派な人が利ppな死に方をするわけではない。死に際の良し悪しは運の問題で、悪人でも運河よければ嫌いな死に方をする。善人でも運河悪く痛みの激しい病気になれば泣き喚いてしななければならない。人生の意味はその人生の全体にある。最期が悲惨であったとしても、それで人生すべてが否定されるものではない。kろえが佐々木さんの考えである(「日々是修行」『朝日新聞』2007年12月20日(夕刊))・・後略

孫引きで恐縮であるが、んぅっと、目からウロコの一文であった。

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