5年前に、両親が所有する畑の一角に自宅を建てさせてもらった。
今でも、隣接して300坪以上の畑が残っていて、両親が耕作している。
ところが、その両親も70才をこえている。おまけに、昨年は父親が腰の手術をして、農作業も思うに任せない状態である。
昨秋は畑が結構荒れて、困った状態になっていた。
今年はなんとか畑の体裁だけでも保たねばと思い、一部は耕運機で耕し、母親がナスやシシトウなどを植えた。
それでもせいぜい全体の3分の一である。
そこで、残った部分の草取りとなるのだが・・・これが大変。
きれいに獲り尽くすことははなから諦めた。
晴れた日は毎朝30分ほど、背丈が高くなる草だけとうろうと決めた。
実践してみるとこれがなかなか面白い。
まず草取りをしているとそのことにだけ集中できる。
とった草の量やとった跡をみることで達成感も味わえる。
もちろん、完璧とは言えないまでも管理された状態が維持できる。
最初は、「なんぼとっても次々でてくるのだから、やってらんないや。時間の無駄」と思っていた。でも、続けてやっていくうちに朝起きて畑にでるのが楽しみになってくるから、不思議ではないか。
話は急に変わるが、あるきっかけで『フロー体験喜びの現象学』(M.チクセントミハイ著)という本を読みはじめた。
「喜び、創造、生活への没入過程など」を「フロー体験」と呼ぶのだそうだ。
その本の下りに以下のような一節がある。
「・・楽しさの現象学は八つの主要な構成要素を持っている。被験者たちは、最もいきいきした経験をしている時の感じについて尋ねられたとき、少なくとも次のうちの一つ、しばしば全部、を挙げたのである。
第一に、通常その経験は、達成できる見通しのある加太と取り組んでいるときに生じる。
第二に、自分のしていることに集中出来ていなければならない。
第三、および第四として、その集中ができるのは一般に、行われている作業に明瞭な目標があり、直接的なフィードバックがあるからである。
第五に、意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、深いけれども無理のない没入状態で行為している。
第六に、楽しい経験は自分の行為を統制しているという感覚を伴う。
第七に、事故にうちての意識は消失するが、これに半してフロー体験の後では自己感覚はより強く現れる。
最後(第八)に、時間の経過の感覚が変わる。数時間は数分のうちに過ぎ、数品は数時間に伸びるように感じられることがある。
ん~っ、ここまで読んで気づいた。
まさに草取りが私にとってフロー体験になっていた訳だ。
これからは、この8つの要素を組み合わせて、いろんな作業や仕事を行ってみたい。
どんなことが起こるか、今からワクワク。
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