「家賃を払う程度で、家が買えますよ。」
そうか!同じようにお金を払うなら資産になった方がいいか、
と思い家(マンション)を買う。
転職において、このことを考察してみたい。
実は私も同様な経験を1994年にした。
前職で東京本社から宮城県古川市の工場に転勤した際に社宅に入った。
社宅の入居期間は5年間でその後は自分で全額家賃を支払わなければならない。
ボーナス時は少し少し高額返済にはなるが、月々はたしかに家賃並みの支払い。
「それで、自分のものになるならいいか」とマンションを購入した。
それから6年後、会社を退職するのだが、この資産(?)が後々まで足を引っ張ることになった。
私の場合は、山形へのUターンを決めていたから、転居そのものの決断は容易にできたが、結局3年後には「損切り」をして売却することとした。
時代は大きく動いている。
通信、交通網の整備により、異動規模は大きくなっているし、雇用の流動性も高まったいる。
働く本人は転勤や転居の意思があっても、「持ち家」そのものが足かせになったり、「持ち家」を持ったことにより家族が転居を嫌い、仕事を辞めたり、新たな仕事に就けないという現象を頻繁に見るようになった。
資産として買った家が、人生においてマイナスに働く場合もある、
ということを頭にいれておく必要がる。
特にこのような変化の大きい時代には、なおさらである。
転職における、住まいを買うリスク
「イエ」というもの
原田さん、御無沙汰してます。ブログ度々拝見しています。
「イエ」は買うものではありません。
買うという意識があるから、買った物に対してクレームをつけたくなるのです。
「イエ」は建てるんです。自分で建てるという意識が有れば、クレームを付けたくとも付けられない、愛着のある物になるんです。
建てると言っても、トンカチ片手に釘を打って建てることではありません。それは専門の人に任せましょう。
「建てる」という行為に自分で出来る範囲で参加するということです。それは、積極的に打合せを行い、自分の意見を「イエ」に反映させること。
人任せでは決していい「イエ」はできません。
「イエ」は買うものではありません。
買うという意識があるから、買った物に対してクレームをつけたくなるのです。
「イエ」は建てるんです。自分で建てるという意識が有れば、クレームを付けたくとも付けられない、愛着のある物になるんです。
建てると言っても、トンカチ片手に釘を打って建てることではありません。それは専門の人に任せましょう。
「建てる」という行為に自分で出来る範囲で参加するということです。それは、積極的に打合せを行い、自分の意見を「イエ」に反映させること。
人任せでは決していい「イエ」はできません。
おっしゃるとおりです。
酒田のI・Nさんへ
I・Nさんがおっしゃるとおりです。
私も最初のマンションは「買い」ました。
ただ「家を持つ」という覚悟はありませんでした。
転勤したら「売ればいい、貸せばいい」くらいの認識です。
だから、値段が下がって売れない、貸すにも大いにリスクがあるとわかったときに重荷になりました。
5年前に、山形に「イエを建て」ました。
設計士さんに入ってもらって、
今だけでなく将来にわたって、どんな生活になるのか、
どんな生活をしたいのか?
何を「イエ」に対して求めるか、などさまざまな対話をしながら。
住宅のセールスマンさんに「毎月の家賃程度で家が買えますよ」などという言葉で覚悟(将来設計のないまま)なく、建てるのはいかがなものかな、と思って書いたしだいです。
もちろん、「建てたイエ」には愛着もっと日々過ごしております。
家は資産ではなく、あくまでも「イエ」なんだと思います。
I・Nさんがおっしゃるとおりです。
私も最初のマンションは「買い」ました。
ただ「家を持つ」という覚悟はありませんでした。
転勤したら「売ればいい、貸せばいい」くらいの認識です。
だから、値段が下がって売れない、貸すにも大いにリスクがあるとわかったときに重荷になりました。
5年前に、山形に「イエを建て」ました。
設計士さんに入ってもらって、
今だけでなく将来にわたって、どんな生活になるのか、
どんな生活をしたいのか?
何を「イエ」に対して求めるか、などさまざまな対話をしながら。
住宅のセールスマンさんに「毎月の家賃程度で家が買えますよ」などという言葉で覚悟(将来設計のないまま)なく、建てるのはいかがなものかな、と思って書いたしだいです。
もちろん、「建てたイエ」には愛着もっと日々過ごしております。
家は資産ではなく、あくまでも「イエ」なんだと思います。
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