2009年が始まった。
昨秋のリーマンショック以来、暗い気持ちが続く、今年はどうにも明るい展望がもてない。そんな中、朝日新聞(1月4日)で仲代達矢さんの文章に出会う。
気持ちがくじけそうになったら、ときどき、この文章を読んでみようと思う。
以下抜粋
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子供の頃は極貧でした。父を失い、母と姉と弟と妹と、米一粒が食えない、そんな生活でした。東京都内の国民学校だったのですが、母は教師から「本来ならあなたのお子さんたちが来る学校ではない」と言われたほどです。
中学1年の時に「昭和20年8月15日」を迎えました。日本中が貧しかった。私は弟と菓子を売ったりラーメンの製めん屋をやったりして稼ぎました。今、うちの若い者に「米一粒が食えなかった」なんていっても、ぴんとこないようですが。
役者になって60年近くなりますが、常に不安定な職業です。芝居一本一本が就職。今やっている芝居が終わったら、次が決まっていなければ、失業です。いつも不安です。次の保証はありません。退職金も失業保険もなし。ある意味で万年失業状態の日雇い労働者です。ほとんど食えない役者がいっぱいいます。
妻の宮崎恭子と自宅で始めた「無名塾」という俳優養成塾が今年で34年になります。彼女が他界した後も、彼女の強い願いを受けて続けてきました。近く5年ぶりに熟成を募集します。今も28人、食えない役者の卵がいる。公演のない間はコンビにでバイトをしたり臨時の派遣をやったりして、なんとか食いつないでいます。でも最近は採ってくれなくなったと言います。
この子たちがいよいよ苦しくなったら?そうですね、出演料を、私も俳優も裏方も、みんな同じにします。そうすればみんなにお金が行き渡る。あるいは、全員に出演料が出でるような芝居を企画します。小さな組織ですが、経営者とはそういうものではないでしょうか。
(中略)
少年時代にあんな状況の中でも生きてこられた。役者になって、売れたり売れなかったり、苦しいこともありました。そんな私がいつも思うのは「人間、太陽がある限り生きていける」ということです。うろたえちゃいけません。
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このような気持ちで常に生きてきたから、仲代さんの「射るような眼差し」があるのかと思った。
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