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元結城豊太郎記念館工藤宗一郎館長がご逝去
昭和60年から平成10年まで結城豊太郎記念館館長を勤められた工藤宗一郎氏が13日ご逝去なさいました。享年97歳。
工藤氏は赤湯園芸高校をご退職後、当時の結城記念館の調査委員としてお勤めになり、結城先生が寄贈なさった書籍や書きしたためた書、拓本類、結城先生宛ての手紙などを膨大な資料を整理、あるいは解読するなど地道な作業を永年なさって、現在の結城豊太郎記念館の礎を築いた方である。今の結城豊太郎記念館の建設にも全力でご尽力なさった結果、見事に新記念館が建設され、平成7年にオープンした。
結城記念館から結城豊太郎記念館への大きな変化の時に館長なさり、調査研究をなさっており、結城先生のことなら工藤氏といわれるほどに研究を深めており、来館者には熱く語る工藤氏であった。
もうご指導はいただけなくなったが、工藤氏が残された遺産を今後の記念館の発展に生かしていきたい。
葬儀は3月16日午後2時から行われた。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
工藤氏は赤湯園芸高校をご退職後、当時の結城記念館の調査委員としてお勤めになり、結城先生が寄贈なさった書籍や書きしたためた書、拓本類、結城先生宛ての手紙などを膨大な資料を整理、あるいは解読するなど地道な作業を永年なさって、現在の結城豊太郎記念館の礎を築いた方である。今の結城豊太郎記念館の建設にも全力でご尽力なさった結果、見事に新記念館が建設され、平成7年にオープンした。
結城記念館から結城豊太郎記念館への大きな変化の時に館長なさり、調査研究をなさっており、結城先生のことなら工藤氏といわれるほどに研究を深めており、来館者には熱く語る工藤氏であった。
もうご指導はいただけなくなったが、工藤氏が残された遺産を今後の記念館の発展に生かしていきたい。
葬儀は3月16日午後2時から行われた。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
被災地 宮城県南部の山元町からのお客様
昨日10日に被災地の宮城県の南部の山元町の文化協会の皆さんが記念館を訪問してくれた。
避難をよぎなくされ、ばらばらになっている皆さんだそうですが、夕づるの館での行事に参加した帰りに立ち寄ってくださったとのことである。
あまり時間がない中ではあったが、ふるさとを思い、ふるさと赤湯のためになさったことはもちろん世界大恐慌や関東大震災、第二次世界大戦というまさに激動の時代に国民のためになさったことを説明し、結城先生の思いを伝えた。
今日11日は東日本大震災から一年となる復興と被災された方々への祈る
追悼式が行われた。
早いもので東日本本大震災から一年過ぎたが、復興はまだまだ遠い感じがする。
一日も早い復興を祈ります。
避難をよぎなくされ、ばらばらになっている皆さんだそうですが、夕づるの館での行事に参加した帰りに立ち寄ってくださったとのことである。
あまり時間がない中ではあったが、ふるさとを思い、ふるさと赤湯のためになさったことはもちろん世界大恐慌や関東大震災、第二次世界大戦というまさに激動の時代に国民のためになさったことを説明し、結城先生の思いを伝えた。
今日11日は東日本大震災から一年となる復興と被災された方々への祈る
追悼式が行われた。
早いもので東日本本大震災から一年過ぎたが、復興はまだまだ遠い感じがする。
一日も早い復興を祈ります。