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記念館だより63号の2「英語の昔話 桃太郎」

記念館だより63号の1「結城先生のルーツを探る」

  • 記念館だより63号の1「結城先生のルーツを探る」
結城先生の口述記録「父母の事ども」を読んで、結城先生のルーツをさかのぼることができた。

そのルーツをまとめてみた。

結城豊太郎記念館ホームページ
2013.01.27:yuhkikinen:コメント(0):[コンテンツ]

結城先生揮毫の書が龍雲寺に

  • 結城先生揮毫の書が龍雲寺に
「舌上有龍泉」と揮毫された書が本堂に掲額されていた。この書と同じ文面の掛軸が赤湯温泉御殿守に所蔵されており、展示されている。

落款はないが間違いなく結城先生の書と思われ、結城先生が昭和16年(?)に訪問したときに書いたものであろうか。

ようやく結城先生のルーツが分かりかけてきた。専門家ではないが調べることの面白さを実感している。

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2013.01.20:yuhkikinen:コメント(0):[コンテンツ]

龍雲寺に緞子緋の衣を寄贈

  • 龍雲寺に緞子緋の衣を寄贈
結城家の菩提寺には結城先生も訪問していることが、口述の資料に載っている。その龍雲寺に結城先生が緞子の緋の衣を寄贈している記録もあった。

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2013.01.20:yuhkikinen:コメント(0):[コンテンツ]

結城家過去帳から

  • 結城家過去帳から
先日訪問した長井市下伊佐沢にある龍雲寺に再度でかけた。幸いにも住職の武田俊英氏にお会いすることができた。

この寺は1659年に創立の古い寺であり、結城家の菩提寺として何か記録に残されているものはないものかと尋ねたところ、過去帳に結城家の当主が代々名乗っていた結城弥右ェ門の名前を探してくれた。

安永元年の前の年であり明和8年(1771年)と思われる年にその名前があった。とすると、それ以前からこの寺が結城家の菩提寺であることがわかる。江戸時代であり苗字がついていることから、かなり位の高い家であることも容易に想像できる。

結城先生の口述の記録によれば、上杉家の家臣であり、米沢に減封されたときに伊佐沢に帰農したと古老から聞いていたとのことで、その話を裏付けることができるのではないか。

それ以降、何度も過去帳には結城弥右ェ門の名前が見られる。

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