ある大学の研究者から市の教育委員会に問い合わせがあり、調べてみたところ結城豊太郎記念館に米沢の城下の絵図があることがわかった。元禄13年と記されており、230cm×262.5cmとかなりの大きさで広げると畳2枚以上ある。
この絵図は赤湯小学校からでてきたもので、南陽市教育委員会所有と記されている。
米沢の城下が色鮮やかに区分されており、その町の役割を示したものであろうか。現在の米沢市の市街地の道路と思われるところもあり見ていると楽しい。一軒一軒の名前もしるされているようで、貴重な絵図だろうと思われる。
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