四海兄弟(しかいけいてい)
大正十二年(一九二三年)の関東大震災、昭和四年(一九二九年)ニューヨークで始まった世界大恐慌と当時の社会情勢はまさに不況のどん底にあり、有史以来の大不況克服のため、昭和五年に日本興業銀行総裁に就任された。この色紙は翌六年秋にお書きになったものである。
この「四海兄弟」は、論語の顔淵第十二「君子は敬して失う無く、人と恭うやうやしくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。」が出典で、「真心と礼を尽くして他者と交われば、世界中の人々はみな兄弟の如く親しいものであり、内に国民親和、外には国際協調を目指した世の人々の進むべき道を示した。」言葉と解される。
日本興業銀行に就任した結城先生は、多くの金融機関が貸し渋りをする中、資金を融資した。「決して不良貸しではない。会社の技術も人も立派だ。金融がつかないだけだ。金融さえつけば会社は立ち直る。」と積極的に融資し、その後、興業銀行は担保主義から「人」中心主義に変わっていったという。この経済不況を乗り切り広く救世主と仰がれたといわれている。
社会の状況はテロとのたたかい、グローバルな社会の動きなど大きく様変わりしてきている。この結城先生の書は今こそ大切にした言葉の一つである。
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