本日午前10時から第1回施設活用文化講座「多勢久美子の昔語り」を開催する。100名近い申し込みがあり、はたしてどうなることか。とりあえずキャンセル待ちの方も入場できるように、会場を整理し、開演を待つ。
久しぶりの南陽での口演。島根県に移り住んだ多勢さん。どんな語りを披露してくれるだろうか。
70回目の終戦記念の日がやってきた。テレビや新聞、インターネットは終戦にまつわる記事を発信している。特にテレビでは何度となく終戦の詔勅が放送された。その詔勅の一部『萬世ノ為二太平ヲ開カント欲ス』は安岡正篤によって修正されていることが知られている。この言葉は中国宋の時代の格言を引用したといわれ、その意味するところは諸説あるが、戦争と平和の切り替えの原点を鮮明にしたと後日解説されている。
戦後70年、当時の戦争についての論評が新聞、テレビで報道されている。戦前から戦中、戦後と生き抜いた結城先生の晩年を記す書籍や資料が少ない。
終戦の8月15日、結城先生はどこで何をしていたのだろうか。残された資料からたどってみた。
美術館めぐりが宿題の一つになっている赤湯中学校の3年男子生徒の見学があった。
せっかくなので簡単に説明をしたが、卒業した赤湯小学校に展示されたいた茨木敏夫氏の「少年の像」を懐かしそうにみていた。
貴重な夏休みであるが、地元にあるこの記念館に足を運んでもらう貴重な機会をあたえていただいたことに感謝。