致知という月刊誌の中に興味深い記事があったので一部抜粋して掲載します。
東京大学名誉教授唐木英明氏の意見です。
まず前段で豊洲移転問題の背景を述べ、その中で土壌汚染問題について触れています。
もし汚染された土地には何も建ててはいけないとすれば、日本の土地の多くは
利用できなくなってしまう、と。そのために土壌汚染対策法があり、その法律に従って
対策をすれば問題なし、と。
たまたま私もある土地の専門家から同じことを伺って、なるほど専門家の意見はそういう
方向なんだな、と思った次第です。
ベンゼンの環境基準は非常に厳しく設定されており、この設定基準上限の水を70年間
飲み続けると発がんリスクが10万分の1増えるというもののようです。
つまり基準の100倍のベンゼンが検出されたとすれば、そのリスクが10万分の1じゃなく
1000分の1になるということ。放射能の時ととても似ている気がします。
さて、それらを前提に以下の文章を転載します。
ちなみに、私は個人的に小池知事について政治的にまったくニュートラルです。
安全と安心についての考え方が参考になったので取り上げた次第です。
■政策決定者の責務は安心より安全を優先すること
豊洲移転問題のように、安全問題を正しく考える時には、注意点がいくつかあります。
まず一つには、「リスクの最適化」を行っているかということです。これはあるリスクを
減らすことが別のリスクを大きくし、全体としてリスクが大きくなることをいいます。
例えば、豊洲移転を中止すれば、確かに地下水汚染の問題などを心配する必要ななくなり
ます。しかし、それによって、より大きな築地市場のリスクが放置されることで、結局は
都民の食のリスクが大きくなってしまうのです。
そのようなことが起こらないようにするためには、総合的な視点からいまの状況は
リスクの最適化になっているのかどうかを考えることが大切です。
もう一つは、「安全」が人質になってはいないかということです。安全問題は、身近で
分かりやすく、「危険だ」と訴えれば一般の人も関心を持ちやすいと言えます。だから
別の目的を達成するために安全問題が持ち出されることがよくあるのです。小池都知事も
地下水の安全性を人質に自分の主張を正当化しようとしています。
それから、「安心」を口実にしてはいないかという視点も大切です。私は「安心=
安全+信頼/納得」だと考えていますが、どんなに科学的に安全でも信頼と納得が
得られなければ安心は得られません。
小池都知事が都庁と専門家の信頼を貶(おとし)める発言を続ける限り、都民の不安は
大きくなるばかりで豊洲問題の混乱も収まらないでしょう。
安全は科学的な事実にのみ基づいて判断されますが、安心は一人ひとりの個人的信条や
感情、メディアの影響によって判断されることが多く、合意を得ることが非常に難しいと
言えます。
では、政策決定者は、安全と安心のどちらを優先すればよいのでしょうか。それはどんな
に不評でも安全を優先し、安心のために無駄な時間や過大な費用を使わないことです。
そしてそのために、安全と安心の対立を解消するためのリスクコミュニケーション
(十分な説明と対話)を行い、「信頼/納得」を得るための「情報開示/説明責任」に
努めていくことが政策決定者の責務に他なりません。
(以下省略)