白砂青松という言葉があります。
単純に白い砂浜と青々とした松林を美とする日本人の美意識のことかと思っていましたが、
実はもっと深い意味があるようです。
これは日本人独特の自然崇拝意識とつながっているようです。
八百万(やおよろず)の神々という言葉で表されるように、日本人は古来、すべてのもの
に神が宿る、或いは神そのものという意識を持ち、自然も物も大切にしてきました。
白い砂は清浄の象徴として神社の参道に敷き詰められたり、お清めに撒かれたりして
きているようです。松は常緑の葉が不老不死の象徴と、能舞台に神の依り代として描かれ
たりしています。
そんな意味もあって白砂青松は日本人に好まれていたということがわかりますが、
東日本大震災の津波で宮城県の海岸防災林はことごとくなぎ倒されました。
ご存じのとおり、宮城県は伊達政宗時代から海岸沿いに運河を発達させ、貞山運河、
東名運河、北上運河と総延長約50kmに渡る日本一の運河がありました。
そして運河沿いは塩害に強いクロマツが植えられており、美しい景観とともに、
防災機能を果たしてきていたのでした。
どういう防災かというと、塩分を含んだ潮風から農作物を守る、塩分を含んだ飛砂を
食い止める、津波のエネルギーを弱める、といった機能によるものです。
全農の人から聞いた話ですが、震災直後から数年、亘理地区のイチゴ路地栽培は
塩害でまったくダメだったそうです。
この海岸林再生事業は、ひとまず植樹そのものは10年の歳月をかけて完成しました。
これはその中で一番成績の悪い東松島の海岸防災林。ある意味失敗作です。
本来、松の木は深根性といって、根を深く地中に張るタイプなのですが、震災で倒れた
松の根は皆、根が浅かったことから、新しく作る防災林は深根性を活かせるつくりに
しなければならないと考えたわけです。
根は地下水脈に達しようとしますから、かさ上げした土地の上に植えれば、水を欲しがっ
て、根が深くなるだろうと。
ところがかさ上げのための盛り土は、ダンプと重機で押し固められ、水はけの悪い
植栽地となってしまったというわけです。それでこの写真のように10年経っても
この程度の状況なのです。
その後、この反省を生かし、盛り土はするけれど、ふわっとした仕上げにするという
ことを徹底し、その他の植栽地はみなうまくいき、一番生育のいいところは樹高7m
程度に成長しています。
しばらくは雑草や葛などの除去という育林作業が必要で、ボランティア活動による
人海戦術で宮城の海岸防災林を育てていくしかありません。
弊社もおととし岩沼で植樹活動をしましたが、今後はこの育林作業にも関わって
いきたいと思います。
壱岐産業は東北の元気を応援します。
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