通勤ついでにゴミ拾いをするようになってもう5年くらい経ったと思います。
最初の頃は、普段通る最短コースで拾っていましたが、ある人からのアドバイスで、
今では月~金5つのコースを作って通勤ゴミ拾いをやっています。
これまで積雪でゴミが拾えなかったことはありましたが、5つのコースになってからは
1週間分のポイ捨てゴミがそこにたまっているわけですから、ごみゼロという日は
ありませんでした。
いつかそういう日が来るかなぁ、と希望を持っていましたが、先日遂にソレがきました!
おおおっ、と、一人ご満悦顔で会社に到着。コロナの影響もあるのかな?
初期の頃は、「ポイポイ捨てやがって」という怒りの気持ちで拾っていました。
ところがだんだんといろいろなことに気がついていきます。
例えば、ふと見上げる青空の美しさにハッとしたりします。
ゴミを探して下ばかり見ていると気づかない上の美しさ。
汚いものとの対比のせいか、普通に見る青空よりも一段と美しく感じられるのです。
それは比ゆ的にとらえると、ものごとの見方にも共通するなぁ、と。
マイナス面にばかり気をとらえられているとプラス面が見えなくなるよ、プラス面は
こんなに美しいんだよ、って。
例えば、ゴミ拾いをしていると、「おはようございます」と声をかけてくれる人が
何人かでてきます。これは「ごくろうさまです」と同義語ですね。
小学生も、ゴミ拾いをしている大人は悪者じゃないだろう、と、挨拶してくれます。
例えば、ほんの小さなエリアではあるけれど、地球を掃除しているような気分になります。
そして同じように家の周りを掃き掃除している人や草取りをしている人に目が行くように
なります。
例えば、幼稚なゴミと悲しいゴミがあるような気がしたりします。自分で始末をするのが
面倒だからポイ。それは幼稚なゴミ。しかし、家庭が荒れていて居場所がなく、
コンビニでおにぎりを買って誰もいない路地で一人辛い思いで夕食を食べる子ども。
そんなゴミだとすると悲しい。
例えば、道路を自分の血管に例えて、まるで血管の中にたまっている不良タンパクを
取り除いているような気分になります。そしてそれは自分だけでなく、家族みんなの
体の中にたまった老廃物を取り除いている気分にもなったりします。
想像は自由で、果てがありません。
どんどん楽しくなってやめられなくなっています(笑)。
この記事へのコメントはこちら