定期的ではありませんが、会社のある黒松~八乙女地区を社員総出で一斉ゴミ拾い、
というのを時々行っています。
ゴミ拾いとは、自分の心と向き合うチャンス、ということを聞いたことがあります。
確かにいろいろな気持ちが去来しますね。
1.誰がこんなに捨てたんだ、という責め心
これが一番誰にでも湧いてくる自然な感情かもしれません。
確かに自然な感情ではありますが、
責め心を持って接しても、決して相手は変わらないというのも真実。
ライザップが「結果にコミットする」ことで成功しているように、
相手が自然に改まるのを待つのであれば、こちらがまず責め心を捨てなければなりません。
そんな訓練がゴミ拾いには隠されているのかもしれません。
2.自分にもそういう部分があるな、という反省の気持ち
ゴミの捨て方のパターンは、隅っこだったりゴミ捨て場だったり、目立たないところに
集中します。
木を隠すなら森に隠せ、と言われるように、目立たなければ内職をしてもいい、という
ことは自分にもあったりします。
案外そういう時に限って大切なことを聞き逃したりしていることが多いんですよね。
3.実は結構きれいだな、という感謝の気持ち
日本には地域力というのがまだまだ存在していると思います。
その証拠に、落ちていたはずのゴミが数時間後になくなっていることがあったりします。
それはその付近のおばさん(たぶん)が拾ってくれているんですね。
だから、私たちがたまに一斉清掃をしても、せいぜいこの写真の程度で済むのでしょう。
あっぱれは、名もないおばさん、おばあさんです。
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