先日、社員旅行で壱岐産業のルーツ、長崎県の壱岐島を訪ねました。
地理的に明らかですが、古来大陸との往来上、壱岐と対馬は重要なポイントでした。
北九州の防備にあたった防人は大宰府を中心とした福岡県のイメージが強いかもしれませんが、
壱岐にも150人くらいが常時監視にあたっていたようです。
具体的には、不審な船が来た場合、のろしで京都まで伝達したそうです。
さて、一番上の写真は、壱岐の少弐公園という歴史的メモリアルエリアです。
日本は第二次大戦まで、一度も他国からの侵略を受けてない、元寇も2度にわたり神風による
大嵐で大国モンゴル帝国の船はすべて沈んだ、といったように教えられました。
しかし、実は文永の役、弘安の役とも、この壱岐には(対馬も)元軍が上陸し、
島民のほとんどが殺害されたのです。
19歳で立ち上がり、勇敢に闘った少弐資時を祀っているのが少弐公園なのです。
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