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2016年をふり返って その1

  • 2016年をふり返って その1

2016年がまもなく終わりを告げるときとなってきました。

皆さんにとってはどんな1年だったでしょうか?

 

弊社としては、社員一同力を合わせ目標を達成できたこと、社員旅行として弊社のルーツである

壱岐島に行くことができたこと、などが目立ったところでしょうか。

 

それもこれもお客さまや取引先さま、メインバンクさま、地域の方々他、私たちの事業をとりまく

様々な方々のおかげさまであることに、心から感謝しております。

 

感謝というのは直接伝えられる場合はそうすればよいわけですが、直接できない場合は、

間接的にでもできる(伝わる)と考えています。

 

例えば車を掃除しきれいに磨くという行為の中で、今年1年お世話になった様々なモノにも

感謝の意を込めました。何しろすべてのものをきれいに磨くというのもむずかしいことですから。

 

そして、本当は東北全土にお礼を言いたいほどだけれど、会社のある黒松八乙女地域を

みんなで掃除することにより、周りの環境にも感謝する意を伝えました(年2回だけですが)。

 

いろいろなモノはどこかでつながっている。

だから、その中の1つにしっかりと向き合っていればきっと他にも通じる。

 

そんな気持ちで仕事もさせていただきました。

社員の人間力も少しずつ上がってきているのが感じられてうれしいです。

 

<仙台に拠点をおいた女子プロ野球レイアの胸に壱岐産業のワッペンをつけていただきました>

2016.12.30:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

勤続30年

  • 勤続30年

<1987年東北自動車道が盛岡まで開通>

 

おかげさまで、今月1日で勤続30年目を迎えました。

社長が勤続という言葉も変ですが、2代目として父が脱サラして立上げた会社に入社したのです。

 

時は1987年。バブル真っ盛り。

就職環境は良かったわけですが、あえて困難な道(少なくても自分ではそう捉えていました)を

選びました。

 

青年海外協力隊員として中米コスタリカで2年間活動してきたのですが、その中で学んだことが、

家族の助け合いの大切さでした。

 

2年間現地で下宿をしていました。決して裕福とは言えない家庭でしたが、おじいさんも孫も、

みんな家の手伝いを率先して行って、家族の団らんタイムを楽しんでいました。

 

そんな経験から、旅行代理店で旅行企画の仕事をしたい、という方向性を変更して、

立ち上がったばかりの家族企業壱岐産業に入社したのでした。

 

あれから30年。ふり返ればもちろんいろいろありますが、2点に絞って語りたいと思います。

 

1つは東北人の温かさを感じた30年だったという点。

 

営業マン時代、主に担当したのは秋田、山形、新潟という日本海側の3県。

当然、冬は雪が当たり前。

 

出張からの帰り道、それまで大雪でワイパーを高速にしても前方が見にくい、という状況から、

トンネルを抜け、奥羽山脈を越えた途端、お月さまと星空!っていう峠マジックを

毎度毎度経験してきました。

 

今は交通事情がよくなりましたが、当時は豪雪のため、道路交通がマヒすることはしばしば。

お客さまとの約束時間に間に合わない、ってことで、途中公衆電話からお詫びの電話を入れた

ことが何度もありました。

 

そんなとき、ほぼ100%、「大丈夫だよ、こんな天気だからね」と言ってくださり、

事実、その言葉どおり温かく迎えてくださいました。

「こんな天気の日によく来たね」と慰めてもらう始末。

 

まあ、今思うと、もっと余裕を持った行動をすればよかったのですが、

それにしてもそういう温かさが身に沁み、東北が大好きになった理由の大きな一つです。

 

2つ目は、営業という仕事についてのスイッチが入った瞬間について。

 

20代のころの仕事ぶりは、今思うとひどいものでした。

長時間労働をいとわず、お客様に良いものを伝えたい、という思いは合格点だったと思いますが、

お客さまからの頼まれごとの管理がまったくなっていませんでした。

 

漏れが多かったのです。それは漏れができない仕組みがなかったからなのですが、

その漏れに対して厳しく律する心がなかったというのが最大のダメ部分でした。

 

そして、そういうことは一事が万事。あるとき、お得意様からお叱りを受けました。

「商人だったら商人らしくしたらどうだ」と。

 

「商人?」

 

自分の中で、商人としての誇りや覚悟がまったくできていなかったのでした。

だから、商人、と言われて、変な気持ちだったとともに、そうか、自分は商人なんだ、

商人としての道を究めなくては、とスイッチが入ったのでした。

 

商人は、相手の喜ぶ商品サービスを考え、その価値が相手にしっかり伝わるように工夫し、

実際に購入していただき、社会を潤滑に回す、そしてお互いが満足する。

 

そんなとても価値のある仕事だと今は胸を張って言えますが、当時はまったくそんな段階では

なく、仕事時間以外で仕事のことを考えることはほぼありませんでした。

 

おかげさまで、その後いろいろと多角的に勉強を重ね、

特にセルフマネジメントについては、18年かけて独自の技術を構築してきました。

 

まあ、それもこれも自身の健康と家族の支え、社員皆さんのがんばり、そして多くのお客様、

お取引先様、友人知人の励ましなどのおかげさまです。

 

年末のこの時期この場をお借りして、感謝の念を深めたいと思います。

ありがとうございました。

2016.12.29:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

台湾事情 その3 記念式典で

  • 台湾事情 その3 記念式典で

 

今年は中国語を少し話せるようになりたい、と、ピンズラー標準中国語会話なるプログラムで

ちまちまと1月から独学を続けてきました。

 

しかし、実際にこんな話をしたい、と思う内容が自在に話せるまでにはまるで至っておらず、

台湾に行く前に、中国語が得意な娘から会話指導を受け、メモ用紙に発音の仕方や読み方などを

書いてもらいました。

 

写真にもありますように、今回の台湾行きの目的の1つは、台湾倫理研究学会30周年記念式典

というのに参加するためでした。日本からも70名ほどが全国各地から駆けつけました。

 

式典前日の歓迎会で、台湾の理事長に私の想いを中国語で伝えました。

もちろんメモを見ながら(笑)。というより最後はメモを見せながら(大笑)。

 

「私の名前は長谷川嘉宏と申します。仙台から来ました。仙台は2011年に東日本大震災で

非常に大きな被害があったところです。その際、台湾からは多大な義援金を送っていただき、

そのことに日本人はとても感謝しています」

 

まあ、ざっとこんな内容でした。理事長からは、今はどうですか?という質問があり、もちろん

そこからは通訳を介したやりとりでした。

 

さて式典当日。

冒頭、理事長挨拶の中で、なんと私の名前と上記内容のことが取り上げられたのです。

 

通訳では私の名前は省略されましたが、明らかに私の名前を言ってくださいました。

いやはやビックリでした。


 

 

参加者総数1100名という大式典&大パーティ。それはそれは盛大なものでした。

そして、日本からの客人に対するおもてなしの精神が、実に半端じゃなくすごいものでした。

こちらはまるでスターにでもなったような気分。

 

NAHAマラソンで感じた沖縄の歓迎の仕方と雰囲気がなんとなく似ていて、

やはり地理的にそういう風土なのかなぁ、と勝手に想像しました。

 

さて、別な意味で驚いたこと、それはこの式典会場の場所です。

なんと中央魚市場の上にあるのです。

 

考えてみると魚市場は敷地が広く駐車スペースもいっぱいあるし、空間利用という観点から、

市場の上の部分を活用しよう、という発想は確かに面白いと思いました。

中に入ってしまえば臭いもまったくしないので。

 

ただし・・・。 

建物に入るまでは魚の匂いがプンプン。まあ、あまりそういうことを気にしない国民性なのでしょう。

異文化体験、実におもしろい!(笑)

 

 

2016.12.22:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

ひらめきメソッド その4

  • ひらめきメソッド その4

 

ひらめき講座、LIFE編に引き続き、WORK編、COM(地域づくり)編を行いました。

参加者は毎回10名~12名くらいで、ちょうどいい人数だったと思います。

 

アンケートでいただいた意見・感想の一部を掲載させていただきます。

 

● 普段向き合わない自分に向き合う時間が有意義でした。自分が何を大切にしているのか、

  大切にしていきたいのか、改めて気づきがありました。他人の人生も垣間見れたことも

  非常に貴重でした(LIFE編)

 

● 昔考えていたことと現在の想いの差に気づきました(LIFE編)

 

● やはり理念が大事だと改めて気づきました(WORK編)

 

● 自分の考えを整理するのに大変良かったです。言葉を解釈するのに頭を使いましたが、

  楽しかったです。会社のメンバーですると面白いと思いました(WORK編)

 

● 自分の経験、体験からしか言葉やアイディアが出てこないけれど、同じグループの他の人の

  ストーリーを聞くことで、新しいアイディアのヒントがもらえる(COM編)

 

● 売ってしまうかどうか悩んでいる実家でしたが、だいぶ愛してるなぁと感じました(COM編)

 

● 会社と家との往復だけでは決して出会わなかった仲間とコミュニケーションできて楽しかった

  (COM編)

2016.12.15:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

台湾事情 その2 レインボービレッジ

  • 台湾事情 その2 レインボービレッジ

家の壁に落書き? 確かにそのとおり。

しかしここは、連日国内外から見物客が絶えることのない通称レインボービレッジというところ。

台湾中部の台中市にあり、周辺は高層マンションなどが立ち並んでいます。

 

老朽化が著しいこの村は、都市再開発計画で取り壊されることが決定。

どうせなら、壊される前に自分が生まれ育ったこの村を華やかに彩ろう、

と勝手に住居の壁やら路地やらに絵を描き始めたのは、黄さん91歳。

 

観光客の若い女性から写真をせがまれてニコニコ応じている帽子をかぶったおじいちゃんです。

 

この黄さん。描き続けること1年。

使ったペンキ代はかなりだったことでしょうが、ある大学生がその様子をSNSで紹介したのが

きっかけで、ネット上で話題となり、次々訪れる人が増え、ついに台中市長も訪問。

その人気ぶりに保存が決まり、一躍観光スポットとして名をはせたのです。

 

2016.12.08:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]