最上義光歴史館

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■ 節句の話
 節句とは、季節の変わり目などに祝い事などの行事を行なう日をいいます。古く中国から伝来したもので、年中行事を行う節目として大切に扱われてきました。江戸時代に幕府が特に重要な節句を「五節句」として制定しました。「五節句」は奈良時代頃に中国から伝えられた「陰陽五行説」に由来しています。陰陽では「1・3・5・7・9」のような奇数が陽であり、月と日に同じ奇数で重なればさらに吉で、また、五行とは「木・火・土・金・水」で、それを割り当てると5つだけなので、11月まではないのです。ちなみに五節句の名称と五行の割り当てはつぎのとおりで、
 1月7日…人日の節句(七草の節句) …木  
 3月3日…上巳の節句(桃の節句) …火   
 5月5日…端午の節句(菖蒲の節句) …土  
 7月7日…七夕の節句(笹の節句) …金   
 9月9日…重陽の節句(菊の節句・栗の節句) …水 
 ちなみに「七夕」は「しちせき」と読みます。また、それぞれに行事食というものがあります。1月7日は七草かゆ、3月3日ははまぐりやちらしずし、5月5日はちまきや柏餅ということで、ここまではおなじみですが、7月7日はというと、実はそうめん、とのことです。そして9月9日は栗ご飯・食用菊・秋茄子とまさに旬の食ばかり。食用菊というと、山形では黄色のものより薄紫色の「もって菊」が好まれますが、大きな観賞用の菊、コンテストなどに出品されるあの大輪の菊花ですが、かつて祖父が趣味で数十鉢と育てていて、それを食べたところ、甘みがあって大変美味しく、やはり手入れと栄養が行き渡っているからでしょうか。
 さて、1月1日は特別ということ、節句は1月7日となっているのですが、それなら1月ではなくて11月11日をあててもよかったのではと勝手に思ったわけですが、するとこの日の行事食は、あの某社の某菓子となってしまうのかと。ちなみ日本記念日協会によると、11月11日は10月10日と並び「最も記念日の多い日」とのこと。例えば11月11日は、その字面から「チンアナゴの日」など。ここでAIさんが、日本記念日協会に登録されていない「くつしたの日(ペアーズデイ)」というのを紹介してくれました。「11」がペアで並ぶ形からとのことで、なんとなく「チンアナゴの日」と理由が似ているようです。日本靴下協会が1993年に制定したもので、大切な人に靴下を贈り合う日とのことですが、やはり私は、一度ももらったことはありません。

■ 雛飾りと五月飾りの話
 雛飾りと五月飾りの由来については、AIさんによる説明がもっとも手っ取り早いので、そこからさらにつまみ食いでも。
 まずは「雛祭飾り」ですが、平安時代、上流階級の女子の間で「ひいな遊び」という、紙で作った人形と家財道具に似せて作ったおもちゃを使った「ままごと遊び」が盛んに行われていたようです。当時の随筆や物語にもそのような場面が登場します。室町時代ころになると3月3日に祭りの日が定まってきたようです。
 江戸時代になると、宮中行事として雛祭りが取り入れられ、幕府の大奥でも取り入れられました。このころ庶民にも雛祭りが広まり、女の子の初節句を人形を飾ってお祝いするようになりました。江戸時代初期は内裏雛一対だったものが、江戸中期には段飾りも登場し、三人官女をはじめとした雛人形や雛道具の数が増えていきました。明治以降になると雛祭りは農村部まで広くいきわたることとなり現在にいたります。
 雛人形も時代とともに変化してきました。古代から、日本人は人形を作り、その人形に祈りを込めていました。平安時代になると、3月の上巳の節句に形代(かたしろ)や人形(ひとがた)を作り、それで身体をなでたり、息を吹きかけ、身の穢れや災いを移し、川や海に流し捨てることをしていました。形代は、身代わり信仰の一つで、人の身代わりとして身のけがれや災いを人形に移し、川や海に流し、子どもの無事成長を祈るものでした。これが現在も行われる「流し雛」の由来であり、雛人形の起源の一つです。
 この形代や人形とは別に、平安時代に天児(あまがつ)と這子(ほうこ)と呼ばれる人形が登場します。後に天児の姿は立雛の男雛(お内裏様)へ、這子の姿は立雛の女雛(お雛様)へと変化し、雛人形の起源の一つとなりました。一方、立雛は形代(かたしろ)から変化したもので、座り雛とは基本的に流れが異なるとのことです。
 3月3日のひな祭りが、女の子のための節句として定着すると、5月5日の端午の節句は、男の子のための節句として定着していきました。
 江戸時代に「菖蒲(しょうぶ)」と武を重んじる「尚武(しょうぶ)」との発音が同じであることから、「端午の節句」は、「尚武」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。ちなみに端午の「端」は「はじめ」という意味で、「端午」は5月最初の午(うま)の日のことを指します。午(ご)の発音が五に通じること等から、奈良時代以降に5月5日が端午の節句として定着していったそうです。
 端午の節句に鎧や兜を飾ることは、武家社会から生まれた風習と言われています。身の安全を願って神社にお参りするときに、鎧や兜を奉納するしきたりに由来しています。武者人形は、江戸時代前期(17世紀)に誕生しました。端午の節句に、男の子の健やかな成長と災厄除けを願い、より親しみやすい形(人型)として作られたものです。
 武家社会にあった鎧や兜を飾る風習が、江戸時代前期には、庶民の間にも普及し、家の前や庭に、槍、幟(のぼり)と共に大型の人形を飾っていました。このような「外飾り」は、神が降臨する際の目印である「依り代」(よりしろ)の役割を担っていたと考えられています。当初江戸時代中期には、家の縁側や店先など、行き来する人々から見える場所に飾られ(見せ飾り)、男子の誕生を知らせるとともに、家の威厳を示す役割も持ちました。江戸時代後期に、人形が小型化し、室内に飾る形式(内飾り)が主流となったそうです。
 勇ましく立派に成長してほしいという願いとともに、現代では鎧や兜が“身体を守る”ものという意味から交通事故や病気から大切な子どもを守ってくれるようにという願いも込めて飾ります。
 ちなみに名古屋刀剣博物館によるオススメ武者人形5選としては、「牛若丸&武蔵坊弁慶」、「那須与一」、「金太郎(坂田金時)」、「鍾馗」」、「神功皇后&武内宿禰」とのこと。同博物館のHPには、それぞれの詳しい説明があります。山形的には熊対策ということで「金太郎」押しとかでしょうか。

■ 仏壇の処分の話
 さて、人形の処分はなにかと苦慮しますが、それと似たようなものとして仏壇の処分というのがあります。仏壇となるとさすがに博物館に寄贈とはいきません。しかも仏壇は、昨今の住宅事情で、縮小・廃止の傾向にあります。数年前、かつての上司が自宅を建て替えたとのことで、そこに伺ったのですが、代々大地主の農家で、建て替え後の家屋にも仏間があり、そこにはやはり代々受け継がれている幅一間(1.8m)はあろうかという金仏壇がありまして、長押には代々の写真がずらりと飾られていました。とにかく代々引き継いでいくということ、これはこれで大変なことではありますが、やはり住宅の新築・改築を前にすると、なにかと扱いに困るのが仏壇です。今どき仏壇のための和室を設けるなどいうのはなかなか贅沢な話でして、解決策としては洋室にあう仏壇に買い替えるという方法もあります。その場合は椅子式となりますが、高齢者にとっても和室より椅子の方が好ましいこともあり、まあ理にかなった選択とも言えます。実は最近、親類の仏壇を調達するにあたり、仏壇屋さんを一緒に見てまわったのですが、コンパクトで本当に素敵なデザインの仏壇が多く、用もないのにこちらまで欲しくなってしまうものがいくつもありました。また、それに合う椅子なども販売していました。
 そこで、でてくるのがこれまでの仏壇の処分でして、壊して分別して過程ごみとするのがもっとも安上がりではありますが、特に山形では金仏壇が一般的で地元の伝統工芸品ともなっていますが、この金仏壇の分別はなかなかに手間がかかります。解体せずにそのまま、粗大ごみとして出す方法もありますが、なんとなく気が引けます。業者さんに依頼する方法もあります。ただ、「ただの家具」とは違うので、専門業者さんに頼む必要がある場合かと。
 また、処分にあっては仏壇を供養することが望ましく、本来であればお坊さんを呼んでお経をあげてもらうところですが、お坊さんを呼べない場合は、自分で供養する方法があります。仏壇の前で手を合わせ、お線香やロウソクを灯して、お清めの塩をふり感謝すれば、心が少し軽くなるという、ネット記事がありました。なによりも誠実さが重要とのこと。業者さんによっては供養サービス付きで処分してくれるところもあるそうです。また、廃棄するのではなく、サイズダウンで作り替えをしてくれる仏壇屋さんが山形にもあります。山形には単なる販売だけでなく、作って売る店も街中に何件もあって、仏壇以外の工芸品などの修繕なども手掛けていたりします。
 また、仏壇に付随する仏具、おりんや燭台などは雑貨として処分できるものの、問題となるのが仏像と位牌でして、こればかりはお寺に相談するのがよいと。相談できるお寺がない場合、位牌であれば郵送で依頼できるサービスもあるようです。一方、仏像であれば、廃棄物としての処分の他、知人・団体等への譲渡、買取業者への売却などの方法がありますが、いずれも供養するのが望ましいとのこと。
 海外では中古の仏壇が、アクセサリーやフィギュアの飾り棚として利用されていて、仏像もインテリアとして人気のようです。山形の伝統工芸品のひとつという金仏壇ですが、インバウンド向けにいけるかも。金仏壇にみゃくみゃく様を飾るなんていうのは、なかなかな組み合わせと思うのですが。

■ AI利用の話
 節句も雛飾りも仏壇の処分の話も、今回は、底なしのコピペ記事ばかりで失礼いたします。しかもAIに頼ると、とにかく要領よくまとめた記事がほんの2、3秒ででてきます。こうなるともはやAI依存症レベルかもしれません。もちろんその根拠やら著作権やらの心配あるのですが、基本的に出典も示されるので、それも確認できればひとまず安心かと。特に若年層ではカウンセリングとか人生相談などにも利用されているらしいですが、さすがにまだ自分はそこまでの利用はしてはいません、
 でも例えば、AIさんにこんな人生相談をしてみたいとは思います。「孔子の言葉に、吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)、六十にして耳順い(耳順)、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず(従心)とあるが、60歳を超えても惑わされるとか、60歳を超えても天命を知ることができないとか、そんな場合はどうすればいいのか」と。これに対しAIさんからは「それは人間ができていないからだ」と、スパっと切り捨てられるような気もします。
 AIさんにはいろいろな種類があり、親切なAIさんだったら「できた人間になる方法」についてもアドバイスしてくれるわけで。例えばそれは「もっと論語を深く読めみましょう」とか。こうなるとだんだん禅問答のようになってしまうわけで。あるいは別のAIさんなら、「みんなちがって、みんないい」とか、「人間だもの」とか、どこかで聞き覚えのある優しい言葉をかけてくれるかもしれません。実際、AIさんに相談し続けると、このようなループとなるか、相談内容の肯定になるらしいです。例えば「60歳となっても、惑わされていても、天命を知らなくてもいい」と言う具合に肯定してくるらしいです。こうしたことを警戒しつつも、孔子さんは60歳になったら、それに反発せず素直に聞くことができ、真意を自然に理解できる、と言っておられるわけです。