最上義光歴史館

最上義光歴史館
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関東に於ける最上義光の足跡を求め ―特に関ヶ原戦以後に限定して―

【あとがき】

 山形藩主・最上義光の死から僅かにして、最上家は領国の崩壊を見るに至った。ここにその要因については、数々の説が挙げられてはいるが、主家一族の相剋に、それぞれ組した者達による権力争いによるものかと、探せば話題は尽きないようだ。あの戦国の世を生き抜き、徳川の世の奥州の一角に覇を成し遂げた義光である。その義光が残した偉大なる通産を、僅かにして失ってしまう程に、義光の死の反動の大きさは、凡なる後継者だった家親そして義俊の器量の無さから、結果は一国を失うことになってしまった。
 本稿は、関ケ原の役以後、徳川の政権下のもと江戸に集中せる諸大名の中に、羽州の最上義光の姿も見られた。そして、大坂の役を知らずに去ってしまった義光の、江戸を基点としての関東での動向を、残された僅かな史料を基に纏めたものである。それは勿論のこと、義光のその前後に歩を進めていた上方、本国での動きにも、多少は調べる必要が生じてこよう。
 義光が営々として築き挙げたものが、一瞬にして崩れ去ってしまった。そして、その失われた多くの物の中から、忠実に最上家を語る手立てを探すことはできないのか。勿論のこと、それには他家史料の利用が不可欠であることは、論を待たないであろう。
 本稿は、『山形県・地域史研究』(26・27号 平成13・14年)に収録したものに、新たな視点のもとに改訂、また訂正などの手を加え、書き改めたものである。

終り

■執筆:小野未三

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