最上義光歴史館

最上義光歴史館
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〇 国宝茶碗の話
 楽茶碗には一般的に黒楽と赤楽がありますが、白楽というのもあります。白楽は楽家代々の茶碗にもあるのですが、白楽で最も有名なのが、「楽焼白片身変茶碗」、銘「不二山」という本阿弥光悦作の国宝です。現在、国宝指定の茶碗は8点しかなく、うち和物は2点のみ。そのもう1点は銘「卯花墻(うのはながき)」という作者不詳の志野茶碗です。
 三井記念美術館が所蔵する「卯花墻」は案外目にする機会が多く、フルーツパフェなどを食べたついでに観れたりするのですが、諏訪湖畔にあるサンリツ服部美術館所蔵の「不二山」は門外不出で、国宝ゆえ展示期間も限られるため(これは「卯花墻」も同じですが)、機会を合わせるのが大変です。ただ、美術館へのアクセスは容易であり、平日であれば結構空いていて、じっくり鑑賞することができます。
 この茶碗のすごいところは、茶碗本体のみならず、共箱の「蓋」と茶碗を包む「裂(きれ)」も国宝(附指定)であることです。美術館で展示される場合はこれらも一緒に展示されます。蓋には光悦自筆の「不二山大虚庵」の銘と印があり、裂(紫羽二重地松竹瀧人物金糸刺繡)には、光悦の娘が嫁ぐ際に本茶碗を振袖に包んで持参した、との逸話があります。この茶碗は二重にも三重にも箱に収められており、かつてサンリツ服部美術館で「箱は語る」と題し茶道具の箱を中心とした展覧会を開催した折、それらの箱も見ることができました。
 この「不二山」は、白楽とは言え下半分は黒く、意図してこうしたのか、全てを白くするつもりがこうなってしまったのか、議論が分かれるところではありますが、とにかく和物の国宝はこれを含め2点のみです。刀剣の国宝指定は122件もあるのに、とは思いますが、なぜ少ないのかは、やはり謎のようです。

〇 練上手の話
 さて、楽焼とは対照的な日本特有の技法に「練上」というのがあります。海外では「Neriage」と表記します。色の違う粘土、これは元から違う色の粘土だったり顔料を混ぜ込んだ粘土だったりしますが、それを複数組み合わせて模様とするもので、色違いの粘土の薄板をミルフィーユのように重ねて切ったものや、金太郎飴のように絵柄が出るように丸めたものを切って並べ板状にしたものなど、それらの断面模様を活かし、作品を作ります。粘土を組み合わせる際には隙間をつくらないようにするとか、切り出した板の模様が崩れないように成型するとか、特有の技術が求められます。また、色違いの粘土を混ぜてマーブル状の柄にすることもあり、轆轤成型などでよくみかけます。これも粘土が混ざりすぎて柄が消えないような技術力を要します。
 「練上(ねりあげ)」のほかに「練込(ねりこみ)」と言うことがありますが、某「やきもの事典」によると同じとのことです。「揉込(もみこみ)」とも言うそうです。
 練上は、ただ切って形を揃えるだけの銘々皿であれば大量生産できるのですが、マグカップなどはつなぎ目が崩れないように貼り合わせるのが難しく、大きめの花瓶などは型を作ってその上に貼り付けるように成型する型作りの技法を用いたりします。面が凸凹にならないようにすることが肝心で、板が薄ければ薄いほど高度な細工となります。
 山形ゆかりの練上手の作家に、東北芸術工科大学の学長ともなられた會田雄亮さんがいます。かつて「違いがわかる男」として某インスタントコーヒーのCMに出ていた人です。公共施設の大モニュメントや陶壁から日常使いできる花器やカップまで製作されていましたが、市販されていたコーヒーカップセットなどは、薄造りの細工でしたが値段的には手頃で、山形市内では容易に購入できました。なので、いつでも買えるかもと思っていたところ、今となっては入手困難であり、もとより作家物のコーヒーカップなどを買うこともない自分は、やはり違いがわかる男ではなく、すみません。

〇 守破離の話
 15代楽吉左エ門の作品図録に本人の「守破離の彼方へ」と題した文章があります。ここには、千利休の教えを和歌の形式にまとめた「利休道歌」の最後にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」という句を引き合いに、つぎのように綴っています。
 「私は世に言う『伝統』にも『現代』にも与するつもりはない。それらの決めつけを強い意志で拒否したい。『守』はまさに私自身を形作っている膨大な過去からの時間と認識の総体、歴史の集積ともいえる。それを認めながら同時にそれに抗している自分がいる。規定され、規定する自分とそれに抗している自分がいる。規定され、規定する私とそれを超えようと逸脱する私。永遠に繰り返される葛藤と自己矛盾。」15代の作品は、まさにそれを体現している感じです。
 そして、「長次郎が400年前、ただ黒々とした一椀の楽茶碗をもってすべてを裁断、深々と沼淵に我々を落とし込んだ、あの研ぎ澄ませた刃の一撃のように、あの静かな、あまりにも静かな世界の底に激しく負わせたもの。言語を超えてゆくこと。『本』はそのことを意味する。」とあります。
 蛇足ながら「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」という句を説明しますと、規矩(きく)とは規範のことで、その伝統の型をまずは徹底的に「守」り、それを自ら「破」り、型や師から「離」れて自分の型を確立しても、「本」つまり本質的なことを忘れるなという意味です。
 これについて15代は、「守りたくもあり同時に離れたくもあるのが、人の心の常」「『保守』と『革新』はあらゆる諸相において常に生じている。『守・破』の二項から立ち上がる『離』はそれを超越しようとする境地である」が、しかし「『離』は揺れ動く私自身の意思、だんじて超越の境地ではない」と語っています。「私は時に右にまた左に、振り子のように大きく振れながら波形を描き歩いている。それが命というものの状態である」前後どちらに進んでいるか知りようもない、とも。
 「守・破・離」は、そのままでは一方向への進化となってしまいますが、15代はいわゆる「正・反・合」のアウフヘーベン的な捉え方をしており、それは単なる昇華でもないようで、15代は、「守」は時軸の流れであり、「破」は時の裁断ともいえる。「離」は規定や認識という言語を超えようとすることであり、超えていくことが「本」である、とも言っています。なんか私では手に余る次元の話となってしまいましたが、東京芸術大学彫刻科卒業直後、イタリア・ローマに2年間留学しており、若い時から常に思索し、何かと闘ってきたのであろうことは想像できます。
 ネットで調べたところ、この7月にロンドンで個展を開催していました。音楽とのコラボレーションということで、「Homage to Alban Berg and Toru Takemitsu(アルバン・ベルグと武満徹を讃えて)」というタイトルがついています。彼らの音楽に影響を受け制作したもので、ベルグはBlack Rock、武満はWhite Rock、と呼ばれる茶碗で表現したそうです。特に武満を表現した白地にカラフルな色彩をまとった作品は、まるでミロの版画を思わせるような茶碗で、人気沸騰間違いなしかと。個人的にも買えるものなら買いたいところです。
 さてここで、ベルグや武満徹について、その蘊蓄やら個人的な思い出やらも語りたいところではありますが、そんな紙面もなく、第一こんな話題に誰もつきあってくれそうにもないので、ここは「Homage to Raku Kichizaemon XV Jikinyu (15代楽吉左エ門直入讃)」ということでとどめましょう。

〇 利休道歌(利休百首)のお話
 せっかく「利休道歌」がでてきたので、ここで簡単にその内容でも。これは千利休の教えとして、茶道の精神、点前作法の心得などを、初心者にもわかりやすく憶えやすいよう歌にして百首にまとめたもので「利休百首」とも言われます。全てが必ずしも利休の作とは限らず、一般的には、裏千家11代玄々斎がまとめた「利休居士教諭百首詠」に、利休の作と推測されるものの2首が加わったものとのこと。茶道をされる方は、必ず目にしたものではないかと思いますが、その中からいくつか。
 まずは、心構えに関する歌から。
▽ その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ
(それをやろうという自分の気持ちこそが自分の師匠である)
▽ 上手にはすきと器用と功積むと 此の三つそろふ人ぞ能(よ)く知る
(上達するには、好きで、器用で、コツコツと努力する、この3つが大事)
▽ 点前には強みばかりを思ふなよ 強きは弱く軽く重かれ
(点前では、力を入れ過ぎず、強いものは弱く、軽いものは重く扱って)
▽ 習ひをばちりあくたぞと思へかし 書物は反古(ほご)腰張にせよ
(教えてもらったことはゴミだと思い 稽古帳は修繕などへのリサイクルに)
▽ 稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへるもとのその一
(稽古とは、全てを知って、そこからまた最初に立ち返りましょう)
▽ 名物の茶碗出でたる茶の湯には 少し心得かはるとぞ知れ
(名物の茶碗が使われた茶会は ちょっと特別な作法が必要)
▽ 余所などへ花をおくらば その花は開きすぎしはやらぬものなり
(自宅などに咲く花を贈るときは 咲ききっているものをやってはいけません)
手前作法の技術としては、
▽ 何にても置付けかへる手離れは 恋しき人に別るゝと知れ
(なんでも物を置く時は 恋しき人との別れ際のように名残惜しそうにしましょう)
▽ 茶入また茶筅のかねをよくも知れ 跡に残せる道具目当に
(お点前中の道具の位置は 動いていない他の道具を目印にしましょう)
▽ 茶入れより茶掬(すく)ふには 心得て初中後(しょちゅうご)すくへそれが秘事なり(茶入から茶を掬う時は 序・破・急を意識するのがコツ)
▽ 茶を振るは手先をふると思ふなよ 臂(ひじ)よりふれよそれが秘事なり
(茶筅は手先で振ろうとせず 肘から振るのがコツ)
▽ 右の手を扱ふ時はわが心 左の方にありと知るべし
(右の手を動かしている時は、左手を意識しましょう)
次に、道具の扱いとしては、
▽ 筒茶碗深き底よりひき上り 重ねて内へ手をやらぬもの
(筒茶碗を拭く時は、拭いた部分を手で触れないよう、まず底を拭き 後で口縁を拭きましょう)
▽ 水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし
(客を迎える前に 消耗品は新しく、心も新しくしましょう)
寸法については、こんなことを歌に。
▽ 茶巾をば 長み布幅一尺に 横は五寸のかね尺としれ
(茶巾の寸法は 長さ約30cm 幅約15cm の曲尺と知っておきましょう)
▽ 掛物の釘打つならば 大輪(おおわ)より九分下げて打て釘も九分なり
(軸竹釘を打つ場所は 天井の回り縁より約27mm下に 出る釘の長さも約27mmで)
▽  花入の折釘打つは 地敷居より三尺三寸五分余もあり
(床の壁に打つ無双釘(中釘)は 地敷居より約1mくらいの高さに打ちましょう)
▽ 掛物をかけて置くには 壁付を三四分すかしおくことゝきく
(壁や掛物を傷めないように 掛物は壁から1cmほど離すように掛けましょう)
その他、茶入れには7句、炭の扱いには9句もあてています。
▽ 炭置くはたとひ習ひに背くとも 湯のよくたぎる炭は炭なり
(炭手前で悪いとされる炭の置き方でも よく湯が湧く置き方こそがよい置き方) 
▽ 炭置くも習ひばかりにかかはりて 湯のたぎらざる炭は消え炭
(習ったことばかりに固執して 湯が沸かないのは本末転倒で炭が無いのと同じこと)
また、道具より気持ちが大事とも言っています。




▽ 品じなの釜によりての名は多し 釜の総名鑵子(かんす)とぞ言ふ
(いろんな名のある釜ですが つまるところただの鑵子=釜です)
▽ 茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合(ありあひ)にせよ
(質素でも気持ちをこめたもてなしを 道具はいつも有り合わせのもので)
▽ 釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具を持つは愚な
(釜一つで茶の湯はできるのに、いろんな道具をもつのは愚ですよ)
▽ 数多くある道具を押しかくし 無きがまねする人も愚な
(いろんな道具を待っていることを隠して 活用しないのも愚かですよ)
▽ 茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし
(茶の湯とは、ただ湯をわかして茶をたてて、飲むだけのことと知りましょう)
 とは言え、茶会となれば、茶碗ひとつ、掛軸、着物、庭木の一本一本までにツッコミが入るわけで、立ち寄りがたい際限なき世界ではあります。