最上義光歴史館

最上義光歴史館
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 前回、上杉博物館の催しをご紹介しましたが、同じ9月10日から、仙台市博物館では特別展「親鸞と東北の念仏」が開催されています(11月4日まで期間中展示替えあり)。「2023年に浄土真宗の開祖・親鸞(1173〜1262)の生誕から850年を迎え、また、2024年は親鸞が主著『教行信証』を著してから、ちょうど800年となります。〜この展覧会は、浄土真宗各派の本山や東北各県の寺院などに伝わった文化財を通じ、東北における浄土真宗の展開について紹介するものです。」とのことです。
 国内の仏教宗派においては、浄土真宗がもっとも多いのですが、最上家の菩提寺は初代、2代を除き曹洞宗であり、また、伊達政宗の菩提寺の瑞巌寺は臨済宗で、両方とも禅宗ではあります。ただ、最上義光は、その菩提寺こそ曹洞宗の光禅寺ですが、父義守との相克のあった時期に、家督相続という本懐を遂げたあかつきには「他宗住居」を認めないとする願文を献じたのが山寺の立石寺(天台宗)で、その後も納経堂を修造したりしています。
 さらに義光の親族の菩提寺は、義光とは違う宗派であることが多く、暗殺された長男の家親は、義光によって常念寺(浄土宗)で菩提を弔らわれ、義光の妹の義姫は、伊達政宗が母(義姫のち保春院)の供養のために建立した保春院(臨済宗)を菩提寺としています。そして、秀次事件に連座した義光の二女の駒姫と、それを悲しみ後を追った義光の妻の大崎夫人の菩提寺は浄土真宗の専称寺です。専称寺は、文明15(1483)年に蓮如上人の高弟である願正が、現在の天童市高擶(たかだま)に草庵を建てたことに始まり、大崎夫人が浄土真宗に帰依していたことから、駒姫を供養するため義光が、高擶にあったこの寺を山形に移しました。慶長3(1598)年に現在地に移転し、13ヶ寺の塔頭を持つ寺町となりました。
 義光自身は信仰心に厚く、その愛用した指揮棒には「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光(清和源氏で山形出羽守である義光は、剃髪していないが仏に仕える身である)」と彫られています。さまざまな宗派に分け隔てなく関わるのもいいのですが、宗派が違うとちょっと面倒なこともあります。まあ、焼香するときに1回拝むのか、2回拝むのかぐらいは見逃してもらうとして、浄土真宗と他の宗派との決定的な違いの一つは、「般若心経」を唱えるかどうかです。浄土真宗が他力本願を教えとしているのに対し、「般若心経」は自力で仏に近づくものとするからです。一方、浄土宗は、他力本願を考えた親鸞以前からの宗派のため「般若心経」はありです。
 つまり、駒姫の菩提寺である専称寺では「ギャーティー、ギャーティー」などとは唱えず、「南無阿弥陀仏」と唱えることとなります。それが、秀次事件で親族等と共に処刑された駒姫の菩提を弔う京都の瑞泉寺は浄土宗なので、「般若心経」でも「南無阿弥陀仏」でもいけるということです。
 浄土仏教は、「阿弥陀仏(阿弥陀如来)」の本願により、観仏や念仏によって極楽浄土に往生することを説く宗旨です。阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主で、この如来を念ずる人を極楽浄土に往生させてくれるそうです。また、「南無阿弥陀仏」の六文字は六字名号とも言われます。
 では、この「南無阿弥陀」の意味ですが、「南無」はサンスクリット語の「ナモ」に由来し「感謝」の意味で、ヒンドゥー語の挨拶「ナマステ」も語源は同じなのだそうです。「阿弥陀」はサンスクリット語の「アミターバ」(無限の光明:無量光如来)や「アミターユス」(無限の命:無量寿如来)からきた言葉です。いずれにしても音写の宛字です。阿弥陀如来というのはアミターバとアミターユスという2つの仏が合わさって生まれた如来であるという説と無量如来(アミタ)という仏がいたという説があるそうです。
 とは言え、「あみだ」というと私のような俗人はつい、「あみだくじ」とか「アミダばばぁ」(知っとるケ)とかを思い浮かべてしまうのですが、これをなぜ「あみだくじ」と言うかというと、もともとはあのハシゴ状のものではなく、真ん中から外に向かって放射線状に線を書いたもので、それが阿弥陀如来の後光に似ていたことから「あみだくじ」と言われるようになったそうです。
 そこで思うのですが、パリオリンピックの柔道競技男女混合団体戦の代表戦の決定方法がデジタルルーレットだったことに、なんとなく疑念を抱いた人も少なくなかったようで、ここはあみだくじで決めればよかったのではと思うわけです。そうすれば、あみだくじをしている最中に、日本応援席からはあの唄が歌い出され、きっと相手チームはひるんだのではないかと。もっとも欧米では「あみだくじ」にはなじみがないそうで、ネットでフランス語に翻訳しても「Amidakuji」としかでてきませんでした。フランス語で発音すると、ちょっと早口で鼻母音、つまり鼻から音を抜く感じで「アンミンダァクジッ」とか言うのかしらん。


( → 裏館長日誌に続く)