場所は高畠町屋代地区時沢に行く手前です
ブドウ園が広がる山の中にあります
道路からしだれ桜がちらっと見えたので、誘われるままに入山すると家が並び、その奥に壮大な歴史を伺える岩山があります
ぽっかり空いた洞窟、それが日向洞窟です
この石碑の手前に昔の生活がわかるパネルも飾られており、
この辺りでどのような生活がなされていたか、すぐにわかるようになっているので
手ぶらで探検に来ても面白いと思います
土地名にもなっている日向(ひなた)
さすがにしだれ桜が咲くには少し早いだろうと思いましたが
高畠町の他の地区では桜がまだ満開になっていない時期に普通の桜が散り始めておりました
初夏の洞窟です
入口からはしばらく直立できる程天上が高いのでぶつかるのを気にせず進んでいくことができます
急に天上が低くなり、体をかがめても入って行けないのですが、
縦が30cm位になった所で、人間はおそらく入れません
※手前が緑色になっていますが、ここまでは太陽の光が届いています。
ですが奥の方にライトを当てると広くなっているのがわかります
特に右側
ライトが届かず画像を撮ってこれませんでしたが
もしかしたら
長い年月を経て土が溜まり入って行けないだけで、この中にも入れたんじゃないかと思うんです
または、昔昔の人は体が小さいと言われているので、昔の人のサイズでは入れたのかもしれません
中からの外の景色です
土は湿っており粘土状。
手をつくとペッタリと吸いつきます
場所はこちらです
グーグルマップで確認
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コウホネサクラ
高畠町糠の目小其塚地区、(矢の目の可能性があります。矢の目であれば米沢市)
鬼面川(おものがわ)に沿ってはしる道路脇に
なんとも大きくて美しい桜の木が一本、
人知れず咲いているのをご存じですか?
この桜の名称はこの土地に咲くコウホネにちなんだものなのでしょうか?
手書きの看板なのでこの土地の方がみんなこの桜をコウホネサクラと呼んでいるのかどうかは不明
巨大な桜の木です
広大な農地が広がるこの土地にただ一本だけが存在します
遠くからでもすぐにわかります
近くなるにつれ、この大木(たいぼく)の大きさに驚愕することでしょう・・・
以前、黒井半四郎忠寄翁の石碑をしらべていた土地です
黒井半四郎翁は上杉鷹山の時代にこの土地に水を流し田畑を潤して下さいました
その約200年後
現代も土地の改良がおこなわれ、平成19年に完成したばかりです
竣工を記念した石碑が建っておりますので近くにいらした方は是非立ち寄ってみてください
現代の勇士の姿が書かれております
※コウホネ(川骨)とは、黄色い小さな花で、小其塚周辺に植生している漢方の花です
昔は群生していたようですが
重なる土地改良によりその数も激減し、なんとか保護できないかと「コウホネの会」を作り、移植に成功
大事に保護されております
参考: みどりネット米沢平野ぶらり探訪より
場所はこちら旧黒井半四郎堰の近くですので、行くとわかります
2010.05.01:umai:[高畠の文化]
清水前古墳
R113そばにあります
こんもりした山が二つ並んでおりますが、入口がいずれも南側を向いているので、R113からはその様子が見ることができません
東側
入り口は大きいが中が狭い
腰を折り、直立できない
西側
入り口は直径1メートル四方
狭いが中がやや広め
髪の毛が天井に触れる程度なので高さは165センチちょうど
西側の古墳の中から外を撮影してみました
町で作った石碑は見られず
代わりに昭和41年11月20日に高畠町教育委員会がたてた 山形県指定史跡と書かれた大きな石碑があります
場所はグーグルマップで確認
小話・・・
古墳の上に登って、景色を見ようと思いましたが
あまりにも車が通るR113そばなので・・・目立ちすぎ、恥ずかしくなり
さすがに古墳の上ではしゃぐことはできませんでした
観光にいらっしゃった方の忘れものなのか、風化したお菓子の袋が古墳の中に捨ててあり、嫌な思いをしました
落ちただけかもしれませんが、全く不似合いな忘れ物を見て、がっかりしました
もちろん拾い持ち帰りました
こんもりした山が二つ並んでおりますが、入口がいずれも南側を向いているので、R113からはその様子が見ることができません
東側
入り口は大きいが中が狭い
腰を折り、直立できない
西側
入り口は直径1メートル四方
狭いが中がやや広め
髪の毛が天井に触れる程度なので高さは165センチちょうど
西側の古墳の中から外を撮影してみました
町で作った石碑は見られず
代わりに昭和41年11月20日に高畠町教育委員会がたてた 山形県指定史跡と書かれた大きな石碑があります
場所はグーグルマップで確認
小話・・・
古墳の上に登って、景色を見ようと思いましたが
あまりにも車が通るR113そばなので・・・目立ちすぎ、恥ずかしくなり
さすがに古墳の上ではしゃぐことはできませんでした
観光にいらっしゃった方の忘れものなのか、風化したお菓子の袋が古墳の中に捨ててあり、嫌な思いをしました
落ちただけかもしれませんが、全く不似合いな忘れ物を見て、がっかりしました
もちろん拾い持ち帰りました
2010.04.22:umai:[高畠の史料]
志田館跡
志田館(しだだて)
長井氏領時代(14世紀末)は
春日義治の城(砦)と伝えられている
その後、16世紀末
17代独眼竜政宗の父輝宗はこの志田館を陣屋にし、この辺から最上に出馬していると言われている
場所はグーグルマップで確認しよう
長井氏領時代(14世紀末)は
春日義治の城(砦)と伝えられている
その後、16世紀末
17代独眼竜政宗の父輝宗はこの志田館を陣屋にし、この辺から最上に出馬していると言われている
場所はグーグルマップで確認しよう
2010.04.22:umai:[高畠の史料]