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二井宿駅跡地

  • 二井宿駅跡地
全ては明治33年の糠の目駅(現JR高畠駅)開業に始まった



町の中心地よりずっと離れていたため、高畠-糠の目間にレールが敷かれ
大正10年に高畠鉄道が設立された

そして二井宿まで沿線が伸びたのは大正13年である

昭和18年に山形交通が設立され、運営される
当時の面影が少しでも残っていないかと立ち入り禁止区域に入ってみた



アスファルトが敷かれ、穴もある
近所の方に聞いてみると、アスファルトは当時のものでこれがホームだという。
穴だと思われたがよく見ると石が積まれており、もしやここにレールがあったんじゃないかと思想が広がる

当時は長谷川製紙工場や片倉製紙工場等の発展もみられた為、町が活性しており
鉄道を利用する人も何十万人といたそうです


線路は地元の方に尋ねると昭和42年の水害で流され、そのまま復旧作業に入らず時代に不要と判断され、そのまま次の年には廃業になったとのこと
その後山形交通の持ち物となり立ち入り禁止区域となった


※ その時の水害は恐ろしいもので、上駄子町と二井宿弁天前を繋ぐ道が湖に成変わる程、水が上がったというのです
田や畑で収穫ができる時期、イネも刈る前だったそうで
かなりの農産物が流れてきたということでしたが、
人間も腰まで水に浸かっているため流れてくる農産物を取ることは不可能。
見ているだけだったとのこと。

二井宿駅の北側にある山が土砂崩れになり、屋代川上流からの土砂と激突し、大きな水柱が天空に上ったそうです

当時の水害を経験している方は多く、
今では堤防ができ、広くなった屋代川ではありますが、少しでも強い雨が降ったり、長く降り続いたりすると
屋代川が溢れるのではないかと心配になるという方もおられる位、フラッシュバックしてしまうのだそうです


旧高畠駅の記事は
こちら

現JR高畠駅からまほろばの緑道が二井宿方面に向かって伸びていますが
これは高畠線の廃線を利用したものです

ただ、このまほろばの緑道を進むと二井宿駅に着くというわけではなく、蛭沢湖に向かう新しい舗道に伸びているだけですのでお間違えなく

場所はこちら
立て看板も何もないので、近所の人に聞くのが一番かと思われます

ちなみに昔ガソリンスタンドだったのかな?と思われる廃墟が目の前にありますので
それを目印にすると行けます
2010.05.18:umai:[高畠の文化]

伊達政宗

  • 伊達政宗
1380年ころから父8代伊達宗遠と置賜郡に侵攻し、1385年には長井氏を滅ぼして、置賜を伊達氏の拠点とした。
伊達家の中興の祖と呼ばれており、中興の祖とは「一度途絶えていた物を復興させた」という意味があり、9代政宗のように家を盛り返してほしいという願いで17代政宗の父が名付けたと言われております
1402年には高畑城に入り、1405年に同地で没しています

全くの別人ではありますが
似た半生を過ごしたと言われており、17代同様
素晴らしい活躍をしたということは言うまでもありません。




非常に古い立て看板です

右が9代政宗公の墓
左がその室、紀氏の墓


調べていくうちに、伊達儀山政宗公を供養する墓は高畠町内において
他にもあることがわかったので、ゆくゆく行ってみることにする

場所は
夏刈りの資福寺跡地と七ヶ宿東光寺


この墓がある場所は屋代地区野手倉(のでくら)という部落であり、
近くには日向洞窟、温泉が湧く自然豊かな土地である

グーグルマップで検索場所はこちら

参照:さみだれ高畑城についての記事
2010.05.18:umai:[高畠の史料]

高房神社

  • 高房神社
高畠町大字元和田にあります
その中でも北和田部落に位置する高房神社
ここの参道は桜が両側にあり、見ごろになると人が花見にやってきます






高房神社の由来はこちらです
画像では文字が小さいので是非、現場にてお読みください



高房神社の本堂です










場所はこちらグーグルマップでGO!


※ ちょっと見るには見苦しい程家庭の粗大ゴミが投げ捨てられていました
残念です
2010.05.18:umai:[高畠の史料]

火箱岩洞窟

  • 火箱岩洞窟
国指定史跡 火箱岩洞窟

この石碑を見つけたら更に車で200mは登らなければなりません。4輪駆動車をオススメします

広場があり、そこに火箱岩洞窟で生活が営まれていた当時を再現したパネルが展示されております


それを見てから山に入りましょう

異空間の入口です

++++それでは1階をご紹介します++++



写真では大きく見えないかもしれませんが、左の岩がものすごく大きいです


壁です

中の奥からの景色です
中は湿っておりひんやりしています


中から見た新緑です。鳥やカエル?動物の鳴き声が聞こえてきます

+++そろそろ2階にあがりましょう+++
2階は日当たりも良く、葉っぱが生えています



壁が湿っているので、寄り掛かることはできず、手前にある小岩にお尻をかけ休憩できそうです


目の前に自然にできた倒木がありました

近所の人の話だと4月から5月GWの時期には田んぼやブドウ園が見えるんだと教えていただきましたが
すでに木々が茂っており、全く見えません

場所はこちらグーグルマップでGO!


※ 火箱岩が国に指定されてから、随分車が来るようになった
  ブドウ園の間を車で行きかうようになってから、この道は広くなったと
  地元の方がおっしゃってました

  その割に誰も(国も町も)手入れをしていないのよと・・・
  
  万が一ゴミが落ちていたら拾ってくるつもりだったので、
  ゴミが落ちてなくて良かった・・・
2010.05.18:umai:[高畠の史料]

鼠持古墳

  • 鼠持古墳
場所は高畠町元和田の山肌に沿った鼠持(ねずもち)という部落に位置します



看板を見ると古墳としては最後の古墳のようです

中に入るのが大変な位、入口が狭かった
中も狭く、立てません。

古墳の入口の上に皿がのっていたので、もしかすると何かお供えでもする方がいらっしゃるのかもしれません
入口に10円玉が落ちていたので、この皿に乗せてきました

付近には軍手が落ちていたり、ビニールが落ちていたり、あまり手入れがされておりません
この山自体を守っていると思われるロープが張られていたので、勝手に入っては行けない場所だとわかります(すみません、勝手に入っちゃいました)



鼠持公園から山に入って約400メートル程行くと左側にあります
コチラです
2010.05.05:umai:[高畠の史料]