上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
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慶長17年(1612年)、米沢城本丸の南東部に上杉謙信公の祠堂が完成しました。これに合わせ供養を行う越後国由来の11の寺院が二の丸に配置され、その筆頭を務めたのが法音寺です。明治9年に上杉謙信公のご遺骸が上杉家御廟所に移されると法音寺も現在の場所に移されました。

上杉家とともに越後から会津、米沢と移された法音寺。


本堂の「上杉家御霊所」に並ぶ歴代藩主の霊牌。


上杉家御廟所では法音寺ご住職様によりご供養が行われています。


現存する最古の御城下絵図「往古御城下絵図」にも法音寺とあり。
(上杉家第17代当主 上杉邦憲様より許可を得て掲載しています)


法音寺を含む11寺は能化衆(のうげしゅう)と呼ばれていました。


その後、御堂衆(みどうしゅう)と呼ばれる9寺も配置されました。


上杉家藩主の菩提寺 法音寺の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

慶長6年(1601年)、米沢城に入城された上杉景勝公は、直江兼続公に米沢城の本丸に上杉謙信公の遺骸を安置する祠堂の建設を命じました。これに合わせ避難所が設けられることになり造成されたのが上杉家御廟所の始まりです。上杉景勝公がお亡くなりになられた際に上杉家の御廟所となり、その後も歴代藩主の御廟所となりました。敷地中央奥の大きな廟は上杉謙信公廟で、明治9年に米沢城の本丸からご遺骸はこちらに移され、現在は歴代藩主とともに眠っておられます。

米沢城の北西部にある上杉家御廟所。始まりは避難所でした。


一部当時の空堀が遺されています。(正門の右手)


刀八毘沙門、懸かり乱れ龍、上杉軍を象徴する二つの旗印。


上杉謙信公の廟を中央に左側が偶数代、右側は奇数代の藩主の廟です。


御廟所の中央、一番奥に位置する上杉謙信公廟。


一段高く造られた上杉謙信公廟。


中央から左側は上杉景勝公から偶数代の藩主の廟。


右側は上杉定勝公から奇数代の藩主の廟です。


上杉謙信公のご遺骸は漆で塗り固められた甕(かめ)に納められ安置されています。上杉景勝公から八代宗房公までは火葬、九代重定公から十二代斉定公までは土葬です。

上杉家御廟所の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)