上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

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刀八毘沙門(とうはちびしゃもん)の旗

懸かり乱れ龍(かかりみだれのりゅう)の旗

紺地日の丸(こんじひのまる)の旗

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米沢城には本丸、二の丸、三の丸の堀がありましたが、明治6年(1873年)に城が取り壊されると二の丸、三の丸の堀は埋められてしまいました。辛うじて二の丸の堀の一部が上杉伯爵邸南側に残っています。三の丸の堀は当時のまま残っている所はありません。(一部河川となっています)

僅かに遺る米沢城の二の丸の堀。(画像右奥の水路)


幅と深さは2間3尺(3.6m〜4.1m)との記録がありますが、現在はかなり浅くなっています。


以前はもっと奥まで遺っていましたが近年更に少なくなりました。


米沢城跡 二の丸の堀の地図


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
伝国(でんこく)の杜は、山形県と米沢市の合築施設として平成13年9月29日に誕生した建物です。山形県の施設は「置賜文化ホール」で、空気浮上式の可動能舞台があるホールや大会議室を備えています。一方米沢市の施設は、米沢市立上杉博物館です。こちらには国宝「上杉本 洛中洛外図屏風」をはじめ約17,700点にものぼる歴史や文化にまつわる品々が収蔵されています。

山形県と米沢市の合築施設「伝国の杜」。


使用時以外はエントランスで展示公開されている空気浮上式可動能舞台。


「米沢天地人博」が開催された米沢市上杉博物館。


敷地西側にある「置賜の庭」の「かてもの園」では、米沢で食されたり薬用とされてきた植物を見ることが出来ます。


「置賜の庭」にあるこの「行屋(ぎょうや)」呼ばれる建物は、


成人の儀式の前に使われていました。


直江兼続公、上杉鷹山公が奨励した「うこぎの垣根」もここで見ることが出来ます。


伝国の杜 米沢市上杉博物館・置賜文化ホール     伝国の杜の地図   


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の命により上杉景勝公は越後から会津120万石に移封となり、同時に直江兼続公は領内の米沢30万石を拝領しました。米沢城主となった直江兼続公は当初現在松岬神社が建つ場所に屋敷を構えましたが、慶長6年(1601年)、徳川家康からの上杉家米沢30万石に減封により僅か3年で屋敷を移すことになりました。移転先となった場所は現在一般住宅地になっており当時を偲ばせる面影は何も残っておりません。

米沢市の案内表示板があるのみです。


直江兼続公時代に付けられた町名(旧町名)が今でもごく普通に用いられます。


昭和53年(1978年)米沢「旧町名を大切にする会」発行の地図を引用。(許可を得て掲載)


正確な境が不明なため●印で表示しています


直江兼続公屋敷跡の案内表示板の地図


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)