上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

紺地日の丸(こんじひのまる)の旗は、長尾家に代々伝わる朝廷から授かった旗です。天賜の御旗(てんしのみはた)、日の御旗(ひのみはた)、御家の旗(おいえのはた)とも呼ばれています。上杉謙信公はこの旗を深く信仰する毘沙門天とともに常に毘沙門堂に安置されていたと言われています。


上杉軍出陣の際は、「刀八毘沙門の旗」、「八幡の御弓」とともに列に加わりましたが、本陣を敷くまでは箱に納め白布で包み僧が背負っていたと言われています。尚、本陣では御旗殿が建てられ掲揚されました。




上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
上杉時代館、次のお話も常にこれと決めております。

上杉軍を象徴するもう一つの旗印、懸かり乱れの龍(かかりみだれのりゅう)の旗です。上杉軍が敵に総攻撃を仕掛ける際、上杉軍の本陣に立てられた旗印です。






上杉時代館の「直江兼続公」講座
カテゴリ:米沢の史跡   ◆ サブカテゴリ:旗印・家紋   記事一覧 ◆

刀八毘沙門(とうはちびしゃもん)の旗

懸かり乱れ龍(かかりみだれのりゅう)の旗

紺地日の丸(こんじひのまる)の旗

上杉家の家紋

直江家の家紋

文字をクリックすると各ページに移動します。

トップページに戻る場合は こちら をクリックして下さい。
カテゴリ:米沢の史跡  ◆サブカテゴリ一覧◆

旗印・家紋

米沢城跡周辺

廟所・菩提寺

街づくり・人づくり

治水・利水・堀

軍備・火縄銃

書籍・文人

文字をクリックすると各ページに移動します。

トップページに戻る場合は こちら をクリックして下さい。
米沢城には本丸、二の丸、三の丸の堀がありましたが、明治6年(1873年)に城が取り壊されると二の丸、三の丸の堀は埋められてしまいました。辛うじて二の丸の堀の一部が上杉伯爵邸南側に残っています。三の丸の堀は当時のまま残っている所はありません。(一部河川となっています)

僅かに遺る米沢城の二の丸の堀。(画像右奥の水路)


幅と深さは2間3尺(3.6m〜4.1m)との記録がありますが、現在はかなり浅くなっています。


以前はもっと奥まで遺っていましたが近年更に少なくなりました。


米沢城跡 二の丸の堀の地図


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)