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◆高畠の歴史  019号◆

  • ◆高畠の歴史  019号◆
今回は、『日本書紀に書かれた置賜と高畠』についてお届けします。

日本書記は天皇を中心とした歴史書では日本最古のものと言われています。
その第30巻に書かれている内容が置賜高畠町のことが書いてあるのです。

持統3年(689年)正月3日
むのたいしの官位を賜っている陸奥の国うきたむ郡の、
きかふ蝦夷の脂利古は、息子、麻呂と金折を引率し、
お坊さんになりたいと申し出できた。
持統天皇は、麻呂らは若いが、みやこ風なところもあり、
態度も爽やかである。人生の岐路に立ち、僧になろうと一大決心をして、
野菜を食し規則を守ってきた。
申し出のように僧になることを許可するから仏の道に励みなさい。

ということが書いてあります。
陸奥の国うきたむ郡とは、今の置賜地区のことであり、
その中心は高畠町小郡山地区だと推測されます。
飛鳥時代の689年に高畠から歩いて
奈良県飛鳥の持統天皇に会いに行っているわけです。その得度願いに、
許可が下りたことはこの時だけの訪問ではなく、
それまでに何回も朝廷とお付き合いがあり信頼関係が築かれていたものと考えられます。

そのような高畠の豪族『脂利古』とはどんな人物なのでしょうか
高畠の歴史研究家によると、新田金原に金山を持ち、
駄子町の白子山の麓に住むこの地方の有力者だったそうです。

清水ヶ丘古墳はこの『脂利古』の墓ではないかとみているそうです。

それから、文献による東北地方への仏教の伝来はこの時が最初だということから、
東北の仏教の伝来地は高畠であったと思われます。

12000年前から人が住み続け 
ついには天皇家と通ずるまでの豪族が
高畠の地に育っていたとは驚きであります。

◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
昨日は夕方から夜中にかけて雨が降りました。
畑には恵みの雨です。
作物は元気に育っています。

梅の話ですが  ネットで調べたら「豊後梅」のようです。
過去に撮った 花の写真と見比べても間違いないようです。

収穫時は6月末で粒が30-40グラムの時期とあります。
今現在まだ20グラム代なので7月初めまで待って収穫します。

使い道は 梅酒 梅干し  梅ジャム何でもいいようです。
こんなに実ったのは、わたくしが意識し始めてから初めてなので
収穫してから考えますが
まずは梅酒を作ってみたいと思います。

写真はネットで探したものです。

本日の天気は曇りのち晴れ  ここ一週間は雨マークは見当たりません
空梅雨が続きそうです。

◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
朝から曇り空です。 昨日は32度まで上がった高畠ですが
本日は27度ぐらいでしょうか

午後から60%の雨予報です。

我が家の梅がしばらくぶりたくさん実りました。

なんという梅なのかなくなってしまった父より聞かずに
今日まで見てきました。

美は堅いので梅干しより 梅酒がいいかなと考えています。

どなたか梅のしゅねいをご存知の方  判定よろしくお願いします。





◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
歴史公園のハスも見頃になってました。


31度を超えました。 空は夏の空です。




◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
いい天気です。
百合の花も咲き始めました。
他人様の庭先が気になります。






◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
梅雨の合間の熱い一日でした。
健康のため 八丈島から取り寄せた明日葉を植えました。
今日 葉を摘み取っても明日また葉が出ることから
明日葉と言うそうです。
生活習慣病予防に食べてみたいと思います。




◆高畠の歴史  018号◆

  • ◆高畠の歴史  018号◆
今回は、『高畠町の源姿』についてお届けします。

高畠町の源姿を知るには、陸奥国と置賜群を知る必要があります。
現在の山形県内で初めて群(こおり)の政治区分で歴史上に現れるのは、
置賜群と最上郡のみであります。

大化の改新(645年)後これまでの世襲制度を廃止し
新しい中央官制を定め官僚制を整えました。
650年のころから全国にわたって国・群(こおり)の
区画を定め地方制度を整えています。

陸奥国はこの制度の整備の中で生まれた国であります。
陸奥国に含まる群は、今の福島県下に当たる9群と
山形県下の置賜と最上でありました。
山形県の内陸部が早く開拓がすすめられました。
陸奥国の時代の最上郡は村山、最上を含めた地域だったようです。

更に、和銅5年(712年)9月今の荘内地方に出羽の国が置かれました。
その中に属する群は出羽郡1つでありましたので、

正式な群ではない仮の群、権群(ごんぐん)として田川郡が設置されました。

しかし、1つの国に1群では格好がつかないということで、
すでに陸奥国に属していた、置賜、最上郡を分離して
出羽の国に所属させたのであります。
それは和銅5年10月のことでした。
ここで山形県の源姿が出来上がりました。

その後、陸奥国は今の青森、岩手、宮城、福島が含まれました。
出羽国当時は出羽を(いでは)と呼んでいたようですが
今の山形県と秋田の一部が含まれていたようです。

そこで置賜群の政治の中心はどこであったかについてですが、
高畠町小郡山にあったとする説が有力であります。

出羽国、置賜群の政治の中心が小郡山であることが、
何と日本書記に書かれていたのです。
2013.06.22:toda:コメント(0)