浜松の孫二人が新幹線利用で初帰省することになり
東京まで迎えに行きました。
雨なのでスカイツリーは見るだけで水族館と 上野の科学博物館を
案内しました。
8月16日までのホームスティです。
本日の高畠は曇りのち雨の予報です。
浜松の孫二人が新幹線利用で初帰省することになり
東京まで迎えに行きました。
雨なのでスカイツリーは見るだけで水族館と 上野の科学博物館を
案内しました。
8月16日までのホームスティです。
本日の高畠は曇りのち雨の予報です。
雨が降ったりやんだりの天気があすまで続く模様です。
天気予報では8月から太陽が顔を出してくれるようです。
スカッとした夏空が恋しいですね。
この植物はほうき草と言っています。
まだまだ葉が膨らみ 秋には真っ赤に色づき
最後は切り取り外ほうきに作ります。
小さな梅です。梅酒にすると鮮やかな赤色になり
上品な梅酒ができます。
本日の高畠は 午前中は晴れ午後から曇りで雨がぱらつきました。
今回は、『陸奥の国の大きなうねり』前九年の役についてお届けします。
平安時代の後期、陸奥の国の土着の豪族安部一族は岩手県北上川流域に柵を築き半ば独立的な形勢をなし統治していました。安倍一族が朝廷への貢租を怠るようになり懲罰の為数々の合戦が繰り広げられましたが一進一退の戦いでありました。朝廷は、河内の源氏の源頼義を陸奥守として派遣したが決着がつかず、隣の国の出羽国仙北(秋田県)の俘囚の豪族清原氏の族長に「奇珍の贈り物」を続け参戦を依頼しました。それに答え清原一族は大群を派遣、これにより朝廷軍は清原、源頼義軍合わせて1万の兵で安部一族をなぎ倒し、安倍一族はここに滅亡しました。清原氏は戦功により朝廷から陸奥の国六郡を与えられ奥州の覇者となったのです。これを歴史的に前九年の役と言っています。
前九年の役で源頼義は、息子の義家と共に戦勝をたたえられ、河内の源氏が源氏の中でも最高の格式をもつ家であると称賛され言い伝えられるようになります。その証として、頼義、義家の家系から、源頼朝が出て鎌倉幕府を開き、室町幕府を開いた足利尊氏も河内源氏なのであります。彼らが征夷大将軍を名乗ったのは頼義が蝦夷を討伐した戦役があるためであります。
前九年の役で清原氏が奥州の覇者となった時、藤原経清の妻である阿倍頼時息女を妻とし、その遺児も引き取りました。これがのちの後三年の役につながってくるのです。その遺児こそ、後の奥州藤原の祖、藤原清衡なのです。
今回でてきた、安倍一族平定の立役者の一人、源義家が高畠町の安久津八幡神社と関わってまいります。
大雨も落ち着きましたが町のあちこちで後始末の姿がみられます。
高畠はここ一週間ぐらいは梅雨空が続くようです。
夏空が待ち遠しいこの頃です。
高畠町は伊達家の故郷であります。
その伊達家の歴史を学び町おこしにつなげようとする会「伊達家のふるさと たかはた伊達の会」が発足して4年になります。
昨日総会があり、日本スペイン交流400年記念講演「出向400年記念 慶弔遣欧使節 支倉常長苦難の旅」と題した 講演会を開催しました。
両国の記念事業として 皇太子がスペインを訪問しました。
その発端になったのが伊達政宗の命によりスペインに立ち寄った支倉常長の偉業から400年ということなのです。
伊達家の会としてもこの際学習する必要があるということで開催しました。