8時現在 非常にいい天気です。
夕方に雨の予報です。
昨日の強風も収まりました。
畑のアサヅキも食べごろになってきました。
ゆでて酢味噌でいただき
春一番の地元の野菜を堪能いたしました。
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◆本日の高畠◆
2013.04.09:toda:コメント(0):[◆ 山菜・キノコ・ 農産物情報◆]
◆本日の高畠◆
昨晩から強風が吹き荒れています。
9時30分現在 陽が差し始めましたが強風は相変わらず吹いています。
午後から 晴れる予想です。
高畠のカエルも冬眠から目が覚めたようです。
タラの芽も膨らみ始めました。
昨年よりいくらか早いように見られます。
天ぷらが楽しみです。
9時30分現在 陽が差し始めましたが強風は相変わらず吹いています。
午後から 晴れる予想です。
高畠のカエルも冬眠から目が覚めたようです。
タラの芽も膨らみ始めました。
昨年よりいくらか早いように見られます。
天ぷらが楽しみです。
2013.04.08:toda:コメント(0):[◆ まほろばの里風景◆]
◆高畠の歴史 004号◆
これまでの内容をごらん頂いたとおり、太古の時代から高畠の自然環境は大変恵まれていると言っていいでしょう。
縄文時代以前から、置賜盆地は広大な湖だったと考えられています。前号に出てきた亀岡文殊堂近くの岩蔵山の岩に波による侵食跡が見られると書きましたが、最盛期は文殊山の中腹あたりまで湖だったと考えられます。その湖は現在では、大きく縮小され白竜湖として現存しています。湖だったころは、水辺に植物が豊富に植生し、魚や貝類がたくさん生息し、魚をついばむ水鳥が多数群がっていたことでしょう。野生の動物は水辺に集まり、草食動物は豊かな草を食し、肉食動物はそれらの動物をえさとして生活していたものと考えられます。
そのような環境にどこからか、人類が訪れ、魚や貝類、水鳥を捕まえて食べて住み着き、湖に集まる動物を捕まえる技術を編み出し、さらに土壌が豊かだったことから、植物や木の実も豊富であり、古代人にとってはまことに住みやすいところだったのではないかと考えられています。
高畠町に人類がいつから住み着いたのかを知るには遺跡、遺物に頼るしかないのが現実です。高畠において人類が住み着いた最古のものは、発見された遺物の鑑定から、日向洞窟になります。発見された遺物は縄文時代の区分より以前のもので、日向洞窟から発見された遺物の為に、新しい時代区分が設定されました。『縄文時代草創期』という新時代区分が生まれたのでございます。
これは大変なことで、我々町民としては非常に名誉なことだと思います。
次回は、日向洞窟についてお届けいたします。
縄文時代以前から、置賜盆地は広大な湖だったと考えられています。前号に出てきた亀岡文殊堂近くの岩蔵山の岩に波による侵食跡が見られると書きましたが、最盛期は文殊山の中腹あたりまで湖だったと考えられます。その湖は現在では、大きく縮小され白竜湖として現存しています。湖だったころは、水辺に植物が豊富に植生し、魚や貝類がたくさん生息し、魚をついばむ水鳥が多数群がっていたことでしょう。野生の動物は水辺に集まり、草食動物は豊かな草を食し、肉食動物はそれらの動物をえさとして生活していたものと考えられます。
そのような環境にどこからか、人類が訪れ、魚や貝類、水鳥を捕まえて食べて住み着き、湖に集まる動物を捕まえる技術を編み出し、さらに土壌が豊かだったことから、植物や木の実も豊富であり、古代人にとってはまことに住みやすいところだったのではないかと考えられています。
高畠町に人類がいつから住み着いたのかを知るには遺跡、遺物に頼るしかないのが現実です。高畠において人類が住み着いた最古のものは、発見された遺物の鑑定から、日向洞窟になります。発見された遺物は縄文時代の区分より以前のもので、日向洞窟から発見された遺物の為に、新しい時代区分が設定されました。『縄文時代草創期』という新時代区分が生まれたのでございます。
これは大変なことで、我々町民としては非常に名誉なことだと思います。
次回は、日向洞窟についてお届けいたします。
2013.04.07:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆高畠の歴史 003号◆
002号の下の方に『また地形からいうと山岳までの距離が短い為洪水が起きにくい環境もあり栄養素が流されず蓄えられた状態が続いているものと考えられます。』という部分ですが、『また地形からいうと山岳までの距離が短い為洪水が起きやすく、上流から流れてきた豊富なミネラル成分が川下の扇状地に堆積し蓄えられた状態が続いているものと考えられます。』に置き代えさせて頂きます。
前回002号の末尾では『次回は人々が住み着き始めころの高畠についてお届けいたします』とつづりましたがもう少し自然環境について追加することがありましたので、
今回は、『高畠町の自然環境の特性』についてお届けいたします。
まずは、高畠町の『地勢』についてです。この地域は、東の山々までの距離が短く急斜面であることから、地下水面が高く、排水不良で、屋代地区から赤湯方面に亘る大谷地は泥炭湿地で、近代ではその上を田地としています。畦には高山植物がみられたと言います。海抜200m程度でこのように泥炭地が発達し高山植物が生育し、しかもその表面が水田化されているのは、全国でも非常に珍しい地域であります。
おそらく海底火山の噴火口だったのではないかと考えられます。
002号でお届けしたように、高畠町は海底火山から形成された凝灰岩で埋め尽くされています。それらが、風雨触や水触作用によって壮大な岩肌、洞穴を作り素晴らしい景勝と洞窟の歴史を作っています。高畠地区の塩の森の岩や亀岡地区の岩蔵山の岩には、波による浸食跡が残っており、古代の置賜地区は巨大な湖であったことを裏付けています。それが人類の住み着く大きな要因となります。
続いて高畠町の『気候の特性』であります。高畠町は東北地方の盆地気候の特徴が顕著に表れています。四季が明確であり、夏暑く冬厳寒傾向で、昼間と夜間の寒暖差に非常な格差が見られます。そのことが農作物の成長に好影響及ぼしていると言われています。
次回は、それらの条件から人類が住み着くころについてお届けいたします。
前回002号の末尾では『次回は人々が住み着き始めころの高畠についてお届けいたします』とつづりましたがもう少し自然環境について追加することがありましたので、
今回は、『高畠町の自然環境の特性』についてお届けいたします。
まずは、高畠町の『地勢』についてです。この地域は、東の山々までの距離が短く急斜面であることから、地下水面が高く、排水不良で、屋代地区から赤湯方面に亘る大谷地は泥炭湿地で、近代ではその上を田地としています。畦には高山植物がみられたと言います。海抜200m程度でこのように泥炭地が発達し高山植物が生育し、しかもその表面が水田化されているのは、全国でも非常に珍しい地域であります。
おそらく海底火山の噴火口だったのではないかと考えられます。
002号でお届けしたように、高畠町は海底火山から形成された凝灰岩で埋め尽くされています。それらが、風雨触や水触作用によって壮大な岩肌、洞穴を作り素晴らしい景勝と洞窟の歴史を作っています。高畠地区の塩の森の岩や亀岡地区の岩蔵山の岩には、波による浸食跡が残っており、古代の置賜地区は巨大な湖であったことを裏付けています。それが人類の住み着く大きな要因となります。
続いて高畠町の『気候の特性』であります。高畠町は東北地方の盆地気候の特徴が顕著に表れています。四季が明確であり、夏暑く冬厳寒傾向で、昼間と夜間の寒暖差に非常な格差が見られます。そのことが農作物の成長に好影響及ぼしていると言われています。
次回は、それらの条件から人類が住み着くころについてお届けいたします。
2013.04.05:toda:コメント(2):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆本日の高畠◆
朝から快晴です。
14度まで上がる見込みです。
雪解け後の後始末にもってこいの天候です。
現在の庭と積雪時の庭を比べてみます。
あの雪はどこに行ってしまったのか
14度まで上がる見込みです。
雪解け後の後始末にもってこいの天候です。
現在の庭と積雪時の庭を比べてみます。
あの雪はどこに行ってしまったのか
2013.04.05:toda:コメント(0):[◆ まほろばの里風景◆]