レンギョウが咲き始めました。
今朝は天気がよく快晴です。
雪解け跡の整理に追われる日になりそうです。
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◆本日の高畠◆
2013.04.16:toda:コメント(0):[◆ まほろばの里風景◆]
◆本日の高畠◆
現在曇りです。
日中は晴れてくる予報で 気温15度前後の模様です。
冬を越した ユキノシタ茎たち菜 が食べごろになってきました。
春一番の畑の野菜です。
今の時期地物の新鮮野菜が
最も少ない時期なので助かっています。
日中は晴れてくる予報で 気温15度前後の模様です。
冬を越した ユキノシタ茎たち菜 が食べごろになってきました。
春一番の畑の野菜です。
今の時期地物の新鮮野菜が
最も少ない時期なので助かっています。
2013.04.15:toda:コメント(0):[◆ まほろばの里風景◆]
◆本日の高畠◆
カンゾウ芽を出し始めました。
ユリ科でオレンジの花を咲かせます。
若い目はおひたしでいただけます。
現在の高畠は快晴です。
ようやく春の兆しが強くなってきました。
予想気温は20度の予報です。
ユリ科でオレンジの花を咲かせます。
若い目はおひたしでいただけます。
現在の高畠は快晴です。
ようやく春の兆しが強くなってきました。
予想気温は20度の予報です。
2013.04.14:toda:コメント(0):
◆高畠の歴史 006号◆
今回は日向洞窟から何が出土したかについてお届けいたします。
日向洞窟は、屋代川の流れに沿う高畠町竹の森北方に広がる
白竜湖低湿地の東の丘陵に存在します。
その南斜面の露出凝灰岩の下にある、
二つの洞窟と二つの岩陰からなる遺跡群であります。
西より、第4岩陰、第1洞窟、第2洞窟、第3岩陰と呼んでいます。
第一洞窟は、入り口の高さ1.5メートル、幅1メートル、
奥行き10メートルのひょうたん型洞窟です。
第3,4岩陰はいずれも10平方メートル前後で南を向いています。
第一洞窟の発掘調査は深さ2メートル掘り下げられ
およそ4つの層に分けられたといいます。
出土した自然遺物は下記のようなものでありました。
1.貝類 マイマイ、キセル貝、カラス貝、ハマグリ、タニシ
2.魚類 多数
3.両棲類 ヒキガエル
4.鳥類 キジ、ヤマドリ、カモ類、ツグミ科、サギ科、マガン、
白鳥、シギ
5.哺乳類 日本シカ、カモシカ、イノシシ、アナグマ、テン、
ツキのワグマ
キツネ、タヌキ、ニホンオオカミ、ニホンイヌ、ノネコ、
ノウサギ ニホンザル
6.人類 などたくさんの遺物が発掘されました。
上記のことから、洞窟の近くまで湖だったことが裏付けられます。
水辺で魚貝を取り、水を飲みに来た動物や鳥ををとらえ
生活していたことがうかがえます。
日向洞窟は、屋代川の流れに沿う高畠町竹の森北方に広がる
白竜湖低湿地の東の丘陵に存在します。
その南斜面の露出凝灰岩の下にある、
二つの洞窟と二つの岩陰からなる遺跡群であります。
西より、第4岩陰、第1洞窟、第2洞窟、第3岩陰と呼んでいます。
第一洞窟は、入り口の高さ1.5メートル、幅1メートル、
奥行き10メートルのひょうたん型洞窟です。
第3,4岩陰はいずれも10平方メートル前後で南を向いています。
第一洞窟の発掘調査は深さ2メートル掘り下げられ
およそ4つの層に分けられたといいます。
出土した自然遺物は下記のようなものでありました。
1.貝類 マイマイ、キセル貝、カラス貝、ハマグリ、タニシ
2.魚類 多数
3.両棲類 ヒキガエル
4.鳥類 キジ、ヤマドリ、カモ類、ツグミ科、サギ科、マガン、
白鳥、シギ
5.哺乳類 日本シカ、カモシカ、イノシシ、アナグマ、テン、
ツキのワグマ
キツネ、タヌキ、ニホンオオカミ、ニホンイヌ、ノネコ、
ノウサギ ニホンザル
6.人類 などたくさんの遺物が発掘されました。
上記のことから、洞窟の近くまで湖だったことが裏付けられます。
水辺で魚貝を取り、水を飲みに来た動物や鳥ををとらえ
生活していたことがうかがえます。
2013.04.13:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆本日の高畠◆
午前中から 現在は晴れています。
気温は9度ぐらいでしょうか
今夜は寒気が入って雪になるかもしれません。
現在の畑です。
全体ににもみ殻をまいでいます。
土が乾燥したら耕運機で畑をお越し混ぜていきます。
今月末ぐらいになるでしょうか
気温は9度ぐらいでしょうか
今夜は寒気が入って雪になるかもしれません。
現在の畑です。
全体ににもみ殻をまいでいます。
土が乾燥したら耕運機で畑をお越し混ぜていきます。
今月末ぐらいになるでしょうか
2013.04.11:toda:コメント(0):[◆ 山菜・キノコ・ 農産物情報◆]
◆高畠の歴史 005号◆
日向洞窟は昭和30年から32年にわたり3回の発掘調査が行われました。
しかし、日向洞窟は偶然に見つかったものではなく、
昔から土地の人たちは鬼の穴として熟知していたのであります。
記録によると江戸時代貞亨2年(1685年)ころ、今の時沢は、
竹の森の枝村であった、開拓の時代である。当時日向洞窟は
鬱蒼とした樹林の地であった。
密林の中に傲然と立ちはだかる褐色の岩肌、
それにもましてその奇怪な大洞穴は、まさに鬼の岩屋のごとく
見えたのかもしれない。だれが言うともなく、
立ち入り禁止の地にもなったという。
かくて時代は進み江戸の末期以後、
開拓が進むに従い洞穴は白日の陽をまともに受け、
周囲の目を引くとともに、
石の鏃などを拾うことができる周知の事実となった洞窟である。
特に昭和の大戦後(昭和25年)付近の18町歩が
地主竹の森長谷川家から解放され耕地となってからは、
人々は先住民の居住遺跡としての存在を
思い描くようになったわけでございます。
そのようなことから、当時の山形大学柏倉教授を中心として
高畠町教育委員会の方々などが発掘調査に携わることとなり、
調査が実現したのでございます。
しかし、日向洞窟は偶然に見つかったものではなく、
昔から土地の人たちは鬼の穴として熟知していたのであります。
記録によると江戸時代貞亨2年(1685年)ころ、今の時沢は、
竹の森の枝村であった、開拓の時代である。当時日向洞窟は
鬱蒼とした樹林の地であった。
密林の中に傲然と立ちはだかる褐色の岩肌、
それにもましてその奇怪な大洞穴は、まさに鬼の岩屋のごとく
見えたのかもしれない。だれが言うともなく、
立ち入り禁止の地にもなったという。
かくて時代は進み江戸の末期以後、
開拓が進むに従い洞穴は白日の陽をまともに受け、
周囲の目を引くとともに、
石の鏃などを拾うことができる周知の事実となった洞窟である。
特に昭和の大戦後(昭和25年)付近の18町歩が
地主竹の森長谷川家から解放され耕地となってからは、
人々は先住民の居住遺跡としての存在を
思い描くようになったわけでございます。
そのようなことから、当時の山形大学柏倉教授を中心として
高畠町教育委員会の方々などが発掘調査に携わることとなり、
調査が実現したのでございます。
2013.04.10:toda:コメント(2):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]