気温が どんどん上がり 29度をオーバーしました。
県内トップの高気温でした。異常ですね
あすは 今度はかなり低くなり降雨率 80%です。
やっと山の天然もののタラの芽が 採れ始めました。
昼食は コシアブラをふんだんに使った
パスタでした。
まだまだ 山菜を楽しみたいと思います。
ちなみに 知人が顔面神経痛になったとき
ドクターより 山菜を中心に食べるよう指示され
あらゆるところからかき集め
毎日食べたところ 治ったとのことです。
山菜を食べてアレルギーが治ったという人にも出会いました。
山菜万歳ですね
HOME > 記事一覧
◆家庭菜園2年生◆
畑おこし耕しに 年齢を感じ このたび 耕運機を導入しました。
イヤー楽ですね ダダそれに比例した 野菜が取れるがどうか
がんばりましょう
イヤー楽ですね ダダそれに比例した 野菜が取れるがどうか
がんばりましょう
2013.05.09:toda:コメント(0):[◆ 山菜・キノコ・ 農産物情報◆]
◆本日の高畠◆
いい天気でした。気温も20度を越え 本当の春を満喫できる日でした。
今朝の里山ウォーキング いやいやびっくりです。
コシアブラこんなに取れました。
一度に食べられないので、さっそく 塩蔵して保存食にしました。
雪国は、春の山菜から、冬のための保存食の仕掛けに
取り掛かっていることを知っていただきたいと思います。
これが郷土料理の原点かな とも 考えています。
当然お山のお猿さんの分は残して帰りました。
コシアブラは、サル、カモシカ、小鳥も食べてるようです。
共存共栄で楽しみましょう そういう考えでやっています。
里山は ワラビ ぜんまいも出始めました。
今朝の里山ウォーキング いやいやびっくりです。
コシアブラこんなに取れました。
一度に食べられないので、さっそく 塩蔵して保存食にしました。
雪国は、春の山菜から、冬のための保存食の仕掛けに
取り掛かっていることを知っていただきたいと思います。
これが郷土料理の原点かな とも 考えています。
当然お山のお猿さんの分は残して帰りました。
コシアブラは、サル、カモシカ、小鳥も食べてるようです。
共存共栄で楽しみましょう そういう考えでやっています。
里山は ワラビ ぜんまいも出始めました。
2013.05.09:toda:コメント(0):
◆本日の高畠◆
朝方から冷たい風が吹いています。
気温は10度前後でした。
それにもめげず恒例の早朝里山歩きを行いました。
当然山菜取りと足腰を鍛えるのが目的です。
一石二鳥とはまさにこのことでしょうか
昨日の成果は上の写真です。
本日の成果は下の写真です。
コシアブラご飯を作ってみました。
ウコギに似たおいしい御飯です。
気温は10度前後でした。
それにもめげず恒例の早朝里山歩きを行いました。
当然山菜取りと足腰を鍛えるのが目的です。
一石二鳥とはまさにこのことでしょうか
昨日の成果は上の写真です。
本日の成果は下の写真です。
コシアブラご飯を作ってみました。
ウコギに似たおいしい御飯です。
2013.05.08:toda:コメント(0):[◆ 山菜・キノコ・ 農産物情報◆]
◆本日の高畠◆
今朝は昨日に比べ気温がぐっと下がりました。
今は日が差していますが 一日中曇り時々晴れの模様です。
山菜も勢いづいてきました。
昨日と今朝は ウォーキングで里山に入り
コシアブラを取ることができました。
山はいいですね おひたしでいてできました。
今は日が差していますが 一日中曇り時々晴れの模様です。
山菜も勢いづいてきました。
昨日と今朝は ウォーキングで里山に入り
コシアブラを取ることができました。
山はいいですね おひたしでいてできました。
2013.05.07:toda:コメント(0):
◆高畠の歴史 011号 ◆
今回は、まぼろしの縄文遺跡についてお届けいたします。
その遺跡は、国道13号南陽バイパス建設にともなう昭和60年(1985)より62年(1987)までの発掘調査によって発見されました。出土地は高畠町大字深沼押出(おんだし)で、置賜盆地北部の白竜湖に連なる低湿地であり、東より流下する屋代川と北から流れる吉野川の合流点が形成する自然堤防の後背湿地にあたり標高211.5メートルにあります。この遺跡は縄文前期後葉の遺跡で、今から5800年以前であるとわかりました。ここから出土したものは、国指定の重要文化財となっており現物は高畠町の考古資料館に保管してあります。
指定になっているのは、彩漆土器で完形のものが6個で、他に残欠のものが四個分あります。
内赤漆のみの土器が4個になります。その中でも、最も重要な土器は、高さ14.5センチ直径23センチで、体部が優美な丸味をおび、口縁のまわりには小さな孔がめぐる。底は丸底で、そのままでは立たない形状をしています。それは、赤漆を地に黒漆で文様が描かかれているものあり、本体部の上半と下半に区切られ、渦巻文を四ヵ所に配し、それから弧状や三角状の文様がひろがる。同時期の土器の文様構成に共通するものであります。
なぜ幻の縄文遺跡かといいますと、この遺跡は、湿地帯の下2メートルに埋もれていたもので、縄文集落が天候異変の洪水のため埋もれてしまい消滅してしまった遺跡だということから『幻の縄文遺跡』と言われています。国道の工事がなかったら発見されないままに終わった可能性があります。この遺跡からは信じられない物が数々出土しています。
その遺跡は、国道13号南陽バイパス建設にともなう昭和60年(1985)より62年(1987)までの発掘調査によって発見されました。出土地は高畠町大字深沼押出(おんだし)で、置賜盆地北部の白竜湖に連なる低湿地であり、東より流下する屋代川と北から流れる吉野川の合流点が形成する自然堤防の後背湿地にあたり標高211.5メートルにあります。この遺跡は縄文前期後葉の遺跡で、今から5800年以前であるとわかりました。ここから出土したものは、国指定の重要文化財となっており現物は高畠町の考古資料館に保管してあります。
指定になっているのは、彩漆土器で完形のものが6個で、他に残欠のものが四個分あります。
内赤漆のみの土器が4個になります。その中でも、最も重要な土器は、高さ14.5センチ直径23センチで、体部が優美な丸味をおび、口縁のまわりには小さな孔がめぐる。底は丸底で、そのままでは立たない形状をしています。それは、赤漆を地に黒漆で文様が描かかれているものあり、本体部の上半と下半に区切られ、渦巻文を四ヵ所に配し、それから弧状や三角状の文様がひろがる。同時期の土器の文様構成に共通するものであります。
なぜ幻の縄文遺跡かといいますと、この遺跡は、湿地帯の下2メートルに埋もれていたもので、縄文集落が天候異変の洪水のため埋もれてしまい消滅してしまった遺跡だということから『幻の縄文遺跡』と言われています。国道の工事がなかったら発見されないままに終わった可能性があります。この遺跡からは信じられない物が数々出土しています。
2013.05.07:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]