HOME > 記事一覧

◆今年始めた原木キノコ栽培◆

  • ◆今年始めた原木キノコ栽培◆
自宅裏に簡易 ほだぎ小屋を設置しました。
直射日光を遮る形にパイプで組みました。
遮光率90%のネットで 雨が当たるようにということなので
マニアアル通りに設置しました。

通常双夏経過後の秋の収穫なので
実際は来年の秋になるわけですが
楽しみにしています。

なめこ  ヒラタケ ブナハリタケ しいたけ を
植菌しました。




2013.06.15:toda:コメント(0)

◆グミが色づいた。◆

  • ◆グミが色づいた。◆
ようやく色づき始めました。
今日は30度を超えました。
わらびも最盛期です。






2013.06.14:toda:コメント(0)

◆高畠の歴史  017号◆

  • ◆高畠の歴史  017号◆
今回は、『高畠町の古墳時代の生活の舞台』についてお届けします。

町内の古墳の分布から生活の舞台を想像することができます。
まず人口の推定ですが、町内の古墳の数を80基とみた場合
80人の被葬者がいたことになります。短期間でつくられたものでないにしろ、
当時は約25名の集団単位で生活していたと考えられ、
その統領が埋葬されたのが古墳と考えると、
80基×25名=2000人となり古墳時代の
高畠近辺の人口は約2000人と推定されます。

住んでいた場所は台地でありました。当時の平地は、
沼地や湿地でとても人の住めるところではなかったようです。
台地は水の便がよく大風の当たらない日当たりがよく
見通しもきき後ろに山林のある場所であり、
人の住む場所として適しており、
その近辺に古墳が造られたと考えられます。

弥生時代から農業が盛んになり、
古墳時代も農業を生業として多くの人々が
協力して行わなければならない状況から
一定の場所に長く住むようになり集落が形成されてと思われます。
集落ができると集団生活をまとめる人が決められ、
それらの集落のいくつかが集まってまた長になる人が出て、
豪族が誕生するきっかけとなったようです。

当時も女性の労働が占める割合が大きく
夫が妻の家に通うということが行われていたそうで、
働き手であった娘を手放すことを望まなかったためではないかと言われています。

高畠の古墳は古墳時代末期(750年前後)であり
時代はすでに奈良時代に入っております。
大化の改新の簿葬礼の交付(645年)にもかかわらず、
高畠の住民は古墳築造を続けていたことになります。

時代的には、羽山古墳以前に出羽の国の建置(712年)
それ以前に奥陸奥の設置(654年の頃)があり
前後しますがそのころに高畠の源姿が出来上がっています。

◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
朝6時  朝日がまぶしく差し込んでいます。
昔 朝日の当たる家  というポップスが流行ったことがありました。
懐かしいですね。

トウモロコシも元気に育っています。やはり 雨がほしいですね
毎日の水やりが大変だす。



◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
昨日は26度の晴れ時々曇り
本日は28度になる模様です。

下剤朝日が差し込んでいます。

いいお天気です。

昨年漬け込んだ蕨の塩漬けが余ったので
干しわらびにすることにしました。
冬の保存食です。
現在蕨の最盛期なのでこれから採りに行きます。

生で食し残りは塩蔵します。

ワンピの干したものはぜんまいにも勝るとも劣らないおいしさです。
道の役でも販売していますが
ぜんまいより価格が安いのもいいところです。



◆本日の高畠◆

  • ◆本日の高畠◆
快晴でした。ここ2.3日は22度前後の肌寒い日がつつきました。
今朝も肌寒かったですが 日中は暖かい天気でした。
今朝は 恒例の町を挙げての屋代川河川敷の草刈りボランティアでした。


◆高畠の歴史  016号◆

  • ◆高畠の歴史  016号◆
今回は、『高畠町の代表的な古墳 羽山古墳』についてお届けします。

羽山古墳は高畠町中心部の北に当たる北目羽山公園内にあり第
1号古墳と称するものです。この古墳は明治27年発見された
約1200年前の古墳時代後期の奈良時代の古墳である。

小規模ではあるが、石組が整然としていて、
発見の際は多くの副葬品を出土しています。

翡翠や瑪瑙の勾玉など5種類650個の玉類、
青銅にメッキが施された金環19個をはじめとして、
直刀、人骨、須恵器なども発見され、副葬品の少ない
本県の古墳の中では最も重要なに古墳として位置付けられています。

勾玉を首にかけた高貴な人は発見された人骨から
純粋な日本民族で関東中部で発見された人骨の骨格と
ほとんど変わりがないことから、
中央から来た支配者の一族ではないかと
推測されます。

高畠町には安久津八幡神社裏の山腹から羽山公園まで一体に
古墳群が存在します。

又町内南部には塩の森、亀岡、元和田にも分布しています。
北は大師森山にも古墳が見られます。『

文献なき時代の集落 古墳これを物語る』という言葉通り、
町内の古墳の分布からいろいろと生活の舞台が推測されます。