各町内会が区分けして年2回行います。
常日頃会えない町内の人たちとの出会いすもあり
憩いの場ともなっている草刈りボランティアです。
各町内会が区分けして年2回行います。
常日頃会えない町内の人たちとの出会いすもあり
憩いの場ともなっている草刈りボランティアです。
もう一つの目的地、茨城県筑西市中館の伊佐城跡です。
仙台伊達家の祖、伊達朝宗の先祖伊佐実宗が築城。
子孫の一部が福島県伊達郡移り伊達氏を名乗る。
南北朝時代伊達行朝(ゆきとも)が南朝を助け
足利軍と戦うも落城した。観音寺本堂裏に行朝の供養塔があり、
二ノ丸跡といわれる境内には城跡石碑がある。
中村城と伊佐城の関係について双方とも伊達家の祖である
という主張があるが 近年の研究では伊佐朝宗が中村荘に移り
中村を名乗り中村城を築城し
鎌倉の御家人となり奥州征伐に参加したものと考えられます。
6/6-7と栃木県茨城県の伊達家のルーツとされる場所を尋ねました。
まずは、栃木県真岡市(もおかと読みます。)の真言宗智山派 遍照寺(へんじょうじ)を尋ねました。
ここは、中村城址であり、中村城は平安時代(保元元年1156年)藤原鎌足十代の孫、中村常盤介藤原朝宗が築城し十七代380年続きました。
平安時代には、真岡市一帯は京都の藤原一族の荘園でありました。土地も人民も藤原氏の管理下にあったわけですが、年貢の取り立てや田畑や人民を守るため朝廷から派遣されたのが藤原朝宗であります。のちに中村朝宗を名乗り、鎌倉の御家人として源頼朝の奥州征伐に加わり戦功により福島県信夫郡と伊達郡を賜り伊達氏を名乗り伊達家初代となります。
この寺院の境内には、奥州藤原氏討伐凱旋記念樹のかやの木がそびえたっています。
奥州合戦に参加した中村家2代目宗村が1189年に植樹したものだそうです。この地方には存在しない木なのでおそらく福島県の戦場阿津賀志山から持ち帰ったものと考えられています。
旅行から帰宅後、福島でのかや木の存在や植生を調べたら東北地方の山岳地帯に発生しているので間違いないものと考えられます。
その巨木から800年の歴史を感じパワーをいただいてきました。