38年にわたる朝廷と蝦夷の戦さ後蝦夷はどうなったでしょうか
1つは 「蝦夷を持って蝦夷を制す」 という方針で土着の長を国府の官職として任命し
各地方を管理し始めました。これが後の地方豪族発生につながっていきます。
2つめは、蝦夷の集団暴動を恐れ千人単位で全国に移配されました。蝦夷は弓馬にたけていたことから全国各地の防人としての活用が多くみられます。遠くは北九州、瀬戸内海、坂東が多かったようです。ところが移住先で先住民とのトラブルや地元の盗賊に同化して略奪をするなど暴動が多発していました。朝廷はそれらを鎮圧するために中央から軍事貴族を派遣することになります。
それは、清和天皇より名を受けた源氏、桓武天皇から名をうけた平氏、摂関家から分かれた藤原流らが担当することになります。その中で鎮圧のため派遣されていながら土着豪族と同化かして反旗を翻したのが平将門であります。将門は独立国をめざし新天皇を名乗りますが、鎮圧にさらに派遣された藤原秀郷に斬首され将門の乱は平定されます。
この時代あたりが武士の発生と考えられのではないでしょうか。
蝦夷の全国移住が起因の一つと考えられます。
前回の坂之上田村麻呂の征夷の戦いには、坂東から数万という単位で民兵が
徴兵されて戦ったことがわかっています。 続く
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