今回は『屋代の庄と南朝』についてお届けいたします。
南北朝時代は、1336年から1392年の56年間を言っています。
奥羽の士族においても南北に分かれ領地の争奪戦を行っています。
鎌倉時代末期の惣領制度の矛盾が大きく表面化したとみることができます。
置賜は長井氏が統括し始めてから六代目の長井広秀の時代となっていました。
お隣福島の伊達郡を賜って伊達氏を名乗った伊達家は7代行宗の時代となっていました。
置賜の長井氏は北朝として、伊達郡の伊達氏は南朝としての立場を明確にし、南北朝時代のどさくさにかこつけて、領地争奪戦の様相が強くなっていました。
伊達家8代の宗遠 とその息子9代義山政宗は1380年新宿峠(今の二井宿峠 R113)を越え置賜に進攻してきました。親子2代にわたり5年かけて置賜は伊達家の配下にはいることになります。
長井氏は置賜に在住せず管理を地頭に任せる、いわば不在武将でありました。
逆に伊達家は福島伊達郡に居を構え統治する在地武将であり、その立場を鑑みての侵攻との見方もできると思います。
次回は、『置賜の伊達家』についてお届けいたします。
伊達家が攻めてきた古道を、毎年古道ハイクとして、5月にトレッキングをしています。
◆高畠の歴史 027号◆
2013.09.09:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
この記事へのコメントはこちら