『奥州合戦と伊達家の発祥』についてお届けいたします。
源平合戦で平家を下し大活躍した源義経は、朝廷より官職を賜ります。
しかし、このことについて兄源頼朝の許可を得ていなかった為に
兄弟に摩擦が生じ義経は追放され追われる身となります。
義経は日本海沿岸を北上し庄内から最上川を登り鳴子に入り、
奥州藤原を頼ることになります。
義経が藤原にいるとの情報を得た頼朝は再三義経を
引き渡すように迫りますが藤原は対応しませんでしたが、
4代藤原泰衡の代になり危機を感じ義経を捕え頼朝に
引き渡そうと夜襲をかけ襲いますが義経は自害をしてしまいます。
泰衡は頼朝の機嫌をとろうと義経の首を塩漬けにして届けますが
逆に攻めのチャンスと見た頼朝に攻められることになります。
源頼朝は東国武士28万の軍勢で藤原攻めに北上し
藤原軍と福島県国見町阿津賀志山にて激突します。
「欧州合戦」の始まりです。数に勝る源氏が圧勝します。
鎌倉幕府開設の3年前のことです。
「欧州合戦」で戦功を挙げた常盤の国中村氏が
福島伊達郡を拝領し伊達氏を名乗ります。
これが伊達家発祥となります。
方や同じく戦功のあった鎌倉の御家人大江氏が
山形置賜長井の庄を拝領し長井氏を名乗ります。
これが山形置賜の源となります。
もともと藤原の庄であったそれぞれの領地は
源氏の家来に分配されたことになります。
ここからがおきたまの新しい歴史がはじまります。
◆高畠の歴史 0025号 ◆
2013.08.19:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
ひとすじの煙
いい景色ですね。
16日に角楢小屋に行ってきました。
チタケ採りです。
知人がチタケが欲しいというので出掛けました。
私達はチタケは足で踏んづけても採らないのですが、好きな人はたまらなく美味しいと言います?
秋が近づいてきた気配が有ります。
全く風が吹かなかった頃に比べ、お盆辺りからザワザワと風が吹き始めました。
子供の頃この風が吹き始めると夏休みが終わりを告げる季節を感じたものです。
利根川の左岸(茨城県側)に大きな波が押し寄せ、川遊びの終わりになるのです。
源氏の奥州鎮守府将軍と関東勢力のカラミが、その後の鎌倉幕府の基盤勢力への重要要素であったとか。楽しみに拝読しています。
16日に角楢小屋に行ってきました。
チタケ採りです。
知人がチタケが欲しいというので出掛けました。
私達はチタケは足で踏んづけても採らないのですが、好きな人はたまらなく美味しいと言います?
秋が近づいてきた気配が有ります。
全く風が吹かなかった頃に比べ、お盆辺りからザワザワと風が吹き始めました。
子供の頃この風が吹き始めると夏休みが終わりを告げる季節を感じたものです。
利根川の左岸(茨城県側)に大きな波が押し寄せ、川遊びの終わりになるのです。
源氏の奥州鎮守府将軍と関東勢力のカラミが、その後の鎌倉幕府の基盤勢力への重要要素であったとか。楽しみに拝読しています。
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