◆高畠の歴史  0024号◆

  • ◆高畠の歴史  0024号◆
今回は、『陸奥の国の大きなうねり』後3年の役についてお届けします。
前9年の役で清原氏が陸奥の国を統括することになりました。

しかし、戦勝した清原氏は安部氏の拠点を統括するうえでの
混乱を減ずるため行った、安部の血脈、
頼時の娘とその子清衡の内部受け入れが問題の種となっていき
異母異夫兄弟の中でいさかいが始まり内紛に発展してしまいます。

折しも、前九年の役で活躍した源義家が陸奥守を拝命し陸奥国に入って、
清原一族の仲裁に入りますが最終的に、安部と藤原の血を引く清衡と
源義家が手を組み内紛平定となります。

戦後清衡は清原氏の旧領すべてを手に入れ、
実父である藤原経清の姓、『藤原』を名乗り
ここに奥州藤原が誕生する事になります。

前九年、後三年の役を通じ大活躍した源義家が当時、
戦勝祈願として高畠町の安久津八幡神社に鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したと言われています。

一方源義家は、朝廷から私戦と判断され戦費すら認められませんでした。
関東から出兵した将士には私材から恩賞を出しています。
この事が関東における源氏の名声を高め、後の鎌倉幕府創建の礎となったとも言われています。

その後陸奥陸には『奥州藤原』が平泉を拠点として栄華を極める事になります。
しかし、源義経と源頼朝の関係悪化から奥州合戦に発展し、
続いて伊達家の発祥につながっていくことになります。

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