今回は、『陸奥の国の大きなうねり』前九年の役についてお届けします。
平安時代の後期、陸奥の国の土着の豪族安部一族は岩手県北上川流域に柵を築き半ば独立的な形勢をなし統治していました。安倍一族が朝廷への貢租を怠るようになり懲罰の為数々の合戦が繰り広げられましたが一進一退の戦いでありました。朝廷は、河内の源氏の源頼義を陸奥守として派遣したが決着がつかず、隣の国の出羽国仙北(秋田県)の俘囚の豪族清原氏の族長に「奇珍の贈り物」を続け参戦を依頼しました。それに答え清原一族は大群を派遣、これにより朝廷軍は清原、源頼義軍合わせて1万の兵で安部一族をなぎ倒し、安倍一族はここに滅亡しました。清原氏は戦功により朝廷から陸奥の国六郡を与えられ奥州の覇者となったのです。これを歴史的に前九年の役と言っています。
前九年の役で源頼義は、息子の義家と共に戦勝をたたえられ、河内の源氏が源氏の中でも最高の格式をもつ家であると称賛され言い伝えられるようになります。その証として、頼義、義家の家系から、源頼朝が出て鎌倉幕府を開き、室町幕府を開いた足利尊氏も河内源氏なのであります。彼らが征夷大将軍を名乗ったのは頼義が蝦夷を討伐した戦役があるためであります。
前九年の役で清原氏が奥州の覇者となった時、藤原経清の妻である阿倍頼時息女を妻とし、その遺児も引き取りました。これがのちの後三年の役につながってくるのです。その遺児こそ、後の奥州藤原の祖、藤原清衡なのです。
今回でてきた、安倍一族平定の立役者の一人、源義家が高畠町の安久津八幡神社と関わってまいります。
◆高畠の歴史 023号◆
2013.07.28:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
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