今回は、『古代うきたむ郡の中心地小郡山』についてお届けします。
日本書記には直接的にはうきたむ郡の中心は高畠町小郡山とは書いていませんが、
前回登場した豪族脂利古の存在から推測されるということです。
東北で初めての仏教伝来の地であり、
持統天皇と親密な関係が伺われることから
住んでいた地の近くが中心であったと推測されます。
小郡山の現地を調べた結果、散在する家屋の隙間を縫う道は
東西に正確に区画され自然発生的なものではないこと、
ストーンサークル前から東に向けた道は古いものであること、
ストーンサークルの裏には今こそ水は耐えているが
昔は相当の深さでと広さをもった濠跡が見られることなどから、
うきたむ郡の中心地であったと推測されます。
また、著名な歴史地理学者は、地名からいっても郡(こおり)は、
ぐんとも読み、小郡山が小さな群時代の山形県内最初の中央官制の
証であるとしています。
南陽市宮内には、郡山という地名が存在しますが、
群が大きくなるに従って高畠町から宮内に移ったと考えられています。
◆高畠の歴史 020号◆
2013.07.06:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
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