今回は、『日本書紀に書かれた置賜と高畠』についてお届けします。
日本書記は天皇を中心とした歴史書では日本最古のものと言われています。
その第30巻に書かれている内容が置賜高畠町のことが書いてあるのです。
持統3年(689年)正月3日
むのたいしの官位を賜っている陸奥の国うきたむ郡の、
きかふ蝦夷の脂利古は、息子、麻呂と金折を引率し、
お坊さんになりたいと申し出できた。
持統天皇は、麻呂らは若いが、みやこ風なところもあり、
態度も爽やかである。人生の岐路に立ち、僧になろうと一大決心をして、
野菜を食し規則を守ってきた。
申し出のように僧になることを許可するから仏の道に励みなさい。
ということが書いてあります。
陸奥の国うきたむ郡とは、今の置賜地区のことであり、
その中心は高畠町小郡山地区だと推測されます。
飛鳥時代の689年に高畠から歩いて
奈良県飛鳥の持統天皇に会いに行っているわけです。その得度願いに、
許可が下りたことはこの時だけの訪問ではなく、
それまでに何回も朝廷とお付き合いがあり信頼関係が築かれていたものと考えられます。
そのような高畠の豪族『脂利古』とはどんな人物なのでしょうか
高畠の歴史研究家によると、新田金原に金山を持ち、
駄子町の白子山の麓に住むこの地方の有力者だったそうです。
清水ヶ丘古墳はこの『脂利古』の墓ではないかとみているそうです。
それから、文献による東北地方への仏教の伝来はこの時が最初だということから、
東北の仏教の伝来地は高畠であったと思われます。
12000年前から人が住み続け
ついには天皇家と通ずるまでの豪族が
高畠の地に育っていたとは驚きであります。
◆高畠の歴史 019号◆
2013.06.27:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
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