日向洞窟は昭和30年から32年にわたり3回の発掘調査が行われました。
しかし、日向洞窟は偶然に見つかったものではなく、
昔から土地の人たちは鬼の穴として熟知していたのであります。
記録によると江戸時代貞亨2年(1685年)ころ、今の時沢は、
竹の森の枝村であった、開拓の時代である。当時日向洞窟は
鬱蒼とした樹林の地であった。
密林の中に傲然と立ちはだかる褐色の岩肌、
それにもましてその奇怪な大洞穴は、まさに鬼の岩屋のごとく
見えたのかもしれない。だれが言うともなく、
立ち入り禁止の地にもなったという。
かくて時代は進み江戸の末期以後、
開拓が進むに従い洞穴は白日の陽をまともに受け、
周囲の目を引くとともに、
石の鏃などを拾うことができる周知の事実となった洞窟である。
特に昭和の大戦後(昭和25年)付近の18町歩が
地主竹の森長谷川家から解放され耕地となってからは、
人々は先住民の居住遺跡としての存在を
思い描くようになったわけでございます。
そのようなことから、当時の山形大学柏倉教授を中心として
高畠町教育委員会の方々などが発掘調査に携わることとなり、
調査が実現したのでございます。
◆高畠の歴史 005号◆
2013.04.10:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
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