これまでの内容をごらん頂いたとおり、太古の時代から高畠の自然環境は大変恵まれていると言っていいでしょう。
縄文時代以前から、置賜盆地は広大な湖だったと考えられています。前号に出てきた亀岡文殊堂近くの岩蔵山の岩に波による侵食跡が見られると書きましたが、最盛期は文殊山の中腹あたりまで湖だったと考えられます。その湖は現在では、大きく縮小され白竜湖として現存しています。湖だったころは、水辺に植物が豊富に植生し、魚や貝類がたくさん生息し、魚をついばむ水鳥が多数群がっていたことでしょう。野生の動物は水辺に集まり、草食動物は豊かな草を食し、肉食動物はそれらの動物をえさとして生活していたものと考えられます。
そのような環境にどこからか、人類が訪れ、魚や貝類、水鳥を捕まえて食べて住み着き、湖に集まる動物を捕まえる技術を編み出し、さらに土壌が豊かだったことから、植物や木の実も豊富であり、古代人にとってはまことに住みやすいところだったのではないかと考えられています。
高畠町に人類がいつから住み着いたのかを知るには遺跡、遺物に頼るしかないのが現実です。高畠において人類が住み着いた最古のものは、発見された遺物の鑑定から、日向洞窟になります。発見された遺物は縄文時代の区分より以前のもので、日向洞窟から発見された遺物の為に、新しい時代区分が設定されました。『縄文時代草創期』という新時代区分が生まれたのでございます。
これは大変なことで、我々町民としては非常に名誉なことだと思います。
次回は、日向洞窟についてお届けいたします。
◆高畠の歴史 004号◆
2013.04.07:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
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