002号の下の方に『また地形からいうと山岳までの距離が短い為洪水が起きにくい環境もあり栄養素が流されず蓄えられた状態が続いているものと考えられます。』という部分ですが、『また地形からいうと山岳までの距離が短い為洪水が起きやすく、上流から流れてきた豊富なミネラル成分が川下の扇状地に堆積し蓄えられた状態が続いているものと考えられます。』に置き代えさせて頂きます。
前回002号の末尾では『次回は人々が住み着き始めころの高畠についてお届けいたします』とつづりましたがもう少し自然環境について追加することがありましたので、
今回は、『高畠町の自然環境の特性』についてお届けいたします。
まずは、高畠町の『地勢』についてです。この地域は、東の山々までの距離が短く急斜面であることから、地下水面が高く、排水不良で、屋代地区から赤湯方面に亘る大谷地は泥炭湿地で、近代ではその上を田地としています。畦には高山植物がみられたと言います。海抜200m程度でこのように泥炭地が発達し高山植物が生育し、しかもその表面が水田化されているのは、全国でも非常に珍しい地域であります。
おそらく海底火山の噴火口だったのではないかと考えられます。
002号でお届けしたように、高畠町は海底火山から形成された凝灰岩で埋め尽くされています。それらが、風雨触や水触作用によって壮大な岩肌、洞穴を作り素晴らしい景勝と洞窟の歴史を作っています。高畠地区の塩の森の岩や亀岡地区の岩蔵山の岩には、波による浸食跡が残っており、古代の置賜地区は巨大な湖であったことを裏付けています。それが人類の住み着く大きな要因となります。
続いて高畠町の『気候の特性』であります。高畠町は東北地方の盆地気候の特徴が顕著に表れています。四季が明確であり、夏暑く冬厳寒傾向で、昼間と夜間の寒暖差に非常な格差が見られます。そのことが農作物の成長に好影響及ぼしていると言われています。
次回は、それらの条件から人類が住み着くころについてお届けいたします。
◆高畠の歴史 003号◆
2013.04.05:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
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