昼食後、高畑城 釣鐘の形をしていたので『鐘ケ城』と呼ばれていました。
伊達家のおきたまの拠点として162年間この城で統治されました。
また、片倉小十郎の旗印釣鐘はこの城から規定ものと考えられます。
鐘ケ城の建立は平泉藤原統治時代の1171年頃である。
絵図通り釣鐘状の城であった。
この原型が残る跡地を散策し昭和縁結び通りを楽しんでいただきました。
◆伊達家のふるさとツアー 鐘ケ城跡と縁結び通り散策 @@@
2010.09.13:toda:[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
この記事へのコメントはこちら